野菊 2
仲良く咲いた
野菊かな
悟り体験をしたときの印象が残っている内に、話を聞くことは、めったに出来ない体験です。
たまたま、スロベニア人のKlavdijaさんからその話を(日本語で)聞くことができました。
このような体験をありのままに言葉にすることが難しいので、訥々と話すことになりますが、この対話を記録できたことは誠に幸運でした。
これを2本のYouTubeT動画にしました。
1本目では、体験そのものを語っています。
約7分。
2本目の内容は、
この体験をすることで、自分の使命にめざめ「自分が本当に考えている教育の在り方」学びなおすために、途中でやめていた博士課程を先に進めようと思ったこと、
心は、常に変化するので、今後、この思いが続くか吟味しようと彼女は考えていること、を語っています。
彼女は、「自身の精神心理的な悩み」を解決するのに苦労をしてきました。このような悩みの源は、教育にあると考え、スロベニアに帰って以後もヨーロッパ各地で実践的に本当の教育の在り方を模索しています。
約12分。
易を立てると、気がかりなことがしばしばズバッと出ていて、不思議に思うことがあります。
今日何気なく易用のサイコロを振って出てきたのが、水天需の「六爻変」でした。
水天需の言葉の読み下しは、「需(じゅ)孚(まこと)あり。貞(てい)なれば吉なり。大川を渉(わたる)に利(よ)ろし。」で、大雑把に、「謙虚な心で落ち着いていれば、大きなことがらもうまくいく」といった意味でしようか。
各言葉を深く掘り下げると深い内省が必要ですが、今日の立て方は略筮なので、「六爻変」の意味を主に考える必要があります。
第六爻は「上六」といい、次のように書いてあります。
「上六。穴に入る。速(まね)かざるの客三人来るあり。これを敬すれば終には吉なり。速(まね)かざるの客来る、これを敬すれば終には吉なりとは、位にあたらずといえども、いまだ大いに失わざるなり」
実際に即していうと、「大変お世話になっていて、本来ならばこちらからお尋ねしなければならない立場にあるお客さが、私のためにわざわざ来て下さるのだから、尊敬の心を持ってお迎えすることが大切」というような意味になります。
その方が近々来られるという話があり、どのような準備をしたらいいか気がかりでした。
それがそのまま出ているのです。
ただ、二人で来られるという話です。「客三人来る」とある意味は、三名で来ると解釈できそうです。
(注)易用のサイコロ:八面のサイコロを2個と、六面のサイコロ1個のセット。
GGECヨーガコースの授業がはじまり、ゲストハウスで、準備のためにノートPCを使い始めました。
最初の一日はいつも通りに作業をしました。
二日目、PCの電源を入れて、「PIN」とかを入力するときにエラーとなるので、入力しなおしました。それ以後も時々エラーとなるようになったのでした。それが頻繁に起きるようになりました。どのようなことが起きているのかというと、キーに触ってもいないのに「j」という文字が入力されているのです。
この現象が半日ほどのうちにひどくなりました。とにかくカーソルをもっていくと、自動的に「j」が入力されてしまうようになりました。 そのスピードがどんどん早くなり、ついには入力空間が「j」で埋め尽くされるまで何もできない状況になりました。
リスタートしてみるなど、今までの経験からできることはみんなやってみました。購入した会社にするなど、「何とかしよう」ともがけばもがくほどストレスがかかります。PCを使うことをあきらめるしかなくなりました。
すると、PC作業に充てていた時間と空間をどうやって埋めていいかわからないのです。
何をしようにも手につきません。
こういうときこそ、呼吸法だとようやく思い出したのですが、意識がいきなり呼吸に向きませんでした。しかし呼吸法しかないと思っていたので、やることを一つに限定しました。(つまり、一呼吸しようと考えることは、吸って、吐いての二ないし、止息を加えて三動作となります。)
「吸うだけ」か「吐くだけ」に意識を置いたのです。「一時に一事」の原則にしたがったわけです。
「吸うだけ」「吐くだけ」ができた。そう思った時から落ち着きはじめました。そのあと5分ぐらいのうちにいつもの自分に戻ったのでした。
そこで、一呼吸で気分が変わる(リラックスできる)ではなく、「半呼吸で気分が変わる」と呼吸法の効果の原則を修正することにしました。
蒙はとおる。我より童蒙に求むるにあらず。童蒙より我にもとむ。初筮には告ぐ。再三すれば瀆る。瀆るれば告げず。貞しきに利ろし。
. 勘(予感/予言/予知)はよく当たりますか?
当たるか当たらないかには、個人差があります。
あなたにおいて、今何かを感じた時「この予感は当たっているか、当たらないか」を知ることはできますか?
日々の生活では、思いがけないことがらに出会うことばかりかと思います。
ルーチンに仕事をこなしていても、同じ日はありません。もしあるとしたら、それは時間が止まっていることになります。
さて、「何か悪いことが来そうだ」とか、逆に「今日はいいことがあるぞ」とか思ったとき、それが当たりやすいときとは、その事柄に対して執着していないときです。
未来というものは、まだ見たことも捕まえたこともないので、茫洋としています。
易を立て「山水蒙」とします。蒙とはまさに、未来というものが茫洋としていてわからないという事実を示しています。
「吉か凶かわからないので、もう一度易を立てたらかえって間違うので、わからないということをありのままにうけとめなさい」というのが、この卦の意味です。
彼女は、メガネを両手でそっと取り上げ、つるを開いた。
私は、かけていたメガネを両手ではずしテーブルに置くと、
ネイビーブルーのメガネを頂いた。
「どうです?」
「よく似合います……」
ヨーガだった。魂と魂がヨーガをしていたのだ。
普通は、エゴが冥想をしようときめて始まる。
エゴが呼吸法をしようと決めてから始まる。
エゴがアーサナをしようと思うので始められる。
一般に私たちのヨーガでは、そのように行われる。
しかしこの時は、いつの間にかヨーガが始まり終わっていた。
このことに翌日になって私は気が付いた…..。
冥想はおろか、呼吸法も、アーサナもしないで、ヨーガがそこにあった。
魂が、ヨーガを実行していたのだ。
この後、その日のヨーガクラスを行った。
ヨーガクラスの間、私のエゴには魂のヨーガの余韻が残っていた。

She gently picked up the glasses with both hands and spread the temples.
I took off my glasses with both hands, put them on the table,
And received the navy blue glasses.
“How is it ?”
“It looks good on you……”
That was Yoga. Soul and Soul were doing Yoga.
Usually, it begins when the Ego decides to meditate.
It begins when the Ego decides to do breathing exercises.
It begins because the Ego wants to do Asana.
Normally, in our Yoga practice, it is done like this.
However, this time, before I knew it, the Yoga had begun and ended.
I realized this the next day…..
There was no meditation, no breathing exercises, no asanas, but Yoga was there.
The soul was performing the yoga.
After this, we performed the yoga class for the day.
During the Yoga class, my Ego was still left with the aftertaste of the soul Yoga.
簡単に、プラス思考が出来るという話をよく聞きます。
しかし、出来ない人にはできません。
僕も、すぐナーバスになってしまい、あーでもないこうでもないという悩みが多い傾向があります。
一度で簡単にプラス思考にする努力は、やめました。
マイナス思考とかプラス思考をを頭から、ちょっと外して。
「どんなストレスにも、呼吸法がいい」ということを信じて、それを実践し続けてきました。
そうしているといつの間にか、物事がいい方向へ展開していることに気が付くことがとても多くなりました。
困ったことがあったらまず呼吸法。
すぐにできるように、普段から練習し続けていることが大切でしょう。