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魂と魂のヨーガ

メガネ

彼女は、メガネを両手でそっと取り上げ、つるを開いた。

私は、かけていたメガネを両手ではずしテーブルに置くと、

ネイビーブルーのメガネを頂いた。

「どうです?」

「よく似合います……」

ヨーガだった。魂と魂がヨーガをしていたのだ。

 

普通は、エゴが冥想をしようときめて始まる。

エゴが呼吸法をしようと決めてから始まる。

エゴがアーサナをしようと思うので始められる。

一般に私たちのヨーガでは、そのように行われる。

しかしこの時は、いつの間にかヨーガが始まり終わっていた。

このことに翌日になって私は気が付いた…..。

冥想はおろか、呼吸法も、アーサナもしないで、ヨーガがそこにあった。

魂が、ヨーガを実行していたのだ。

この後、その日のヨーガクラスを行った。

ヨーガクラスの間、私のエゴには魂のヨーガの余韻が残っていた。

Yoga of Soul and Soul

Glasses  

She gently picked up the glasses with both hands and spread the temples.

I took off my glasses with both hands, put them on the table,

And received the navy blue glasses.

“How is it ?”

“It looks good on you……”

That was Yoga.  Soul and Soul were doing Yoga.

 

Usually, it begins when the Ego decides to meditate.

It begins when the Ego decides to do breathing exercises.

It begins because the Ego wants to do Asana.

Normally, in our Yoga practice, it is done like this.

However, this time, before I knew it, the Yoga had begun and ended.

I realized this the next day…..

There was no meditation, no breathing exercises, no asanas, but Yoga was there.

The soul was performing the yoga.

After this, we performed the yoga class for the day.

During the Yoga class, my Ego was still left with the aftertaste of the soul Yoga.

プラス思考が難しかったら

簡単に、プラス思考が出来るという話をよく聞きます。
しかし、出来ない人にはできません。

僕も、すぐナーバスになってしまい、あーでもないこうでもないという悩みが多い傾向があります。
一度で簡単にプラス思考にする努力は、やめました。

マイナス思考とかプラス思考をを頭から、ちょっと外して。
「どんなストレスにも、呼吸法がいい」ということを信じて、それを実践し続けてきました。
そうしているといつの間にか、物事がいい方向へ展開していることに気が付くことがとても多くなりました。

困ったことがあったらまず呼吸法。
すぐにできるように、普段から練習し続けていることが大切でしょう。

アーサナ: 解剖学的及び生理学的価値

Team Patanjali Japan Foundationによるインタラクティブセッションで、オンライン講義とアーサナを行います。

 

このセッションでは、体(筋肉の構造)と脳がどのようにつながっているかを理解します。

このことを、「あくびは集中力を高めるための体のメカニズムによる」という研究をご紹介しながら説明します。

あくびをしながら参加をしていただけたらと思います。。

 

講義とアーサナ

トピック:アーサナ:解剖学的および生理学的価値
開催日:2023年2月19日(日曜日)
時間:午前10時〜11時(日本時間)
参加費:980円(アディヨギは無料)
登録はこちらから:
https://www.yoga.patanjali.jp/monthly-interactive-session/is-february-2023/
又はこちらから:https://www.yoga.patanjali.jp/monthly-interactive-session/

最新情報(LINEオープンチャット): https://line.me/ti/g2/9etexjsO9lIEDDGbXP2NWg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

 

菊芋をアーユルヴェーダに!

第44回日本アーユルヴェーダ学会に参加してきました。
アーユルヴェーダも、西洋医学の影響を受けて、大きく変化しつつあるなあと思います。
それとともに、西洋医学の医者、特にがんに取り組む医者が患者と家族の生死の苦悩を目の当たりにしながら、人生観を変えていった様子がとても印象的でした。
中でも、医者自身がガンにかかり苦悩の中から、がんは「人生観を変えろを変えろ」といっていることに気が付いて、新しい取り組みを始めたという話は、示唆に富んでいました。
生死と向き合いながら人生観が変容する過程こそ、ヨーガに外なりませんが、そのことについては彼らは気が付いていないようでした。
私達は、菊芋をアーユルヴェーダに組み込んで欲しいという提案をしてきました。

この話は、かなり興味を持って聞いてくださり、とてもありがたいものでした。
菊芋は、生活習慣病(糖尿病、高血圧、高脂血症、肥満)などに役立つだけでなく、肌をきれいにする、骨密度を高める、などの効果があるのですから、とても重要です。
今、これからの季節は、ちょうど収穫期、道の駅などで生の菊芋を購入できる季節です。

 

朝起きたときの呼吸法とヨーガ

私は、朝起きてすぐ呼吸法とヨーガをします。
「やっぱり呼吸法の達人はちがいますね」などと言われることがあります。
朝から目がパッチリ覚めて、元気爽快だと思っていらっしゃるのです。

そうじゃないんです。

まず、動きたくないのが本音の時がとて多も多いです。

布団のなかでぐずぐずしていると、いつの間にか眠っていて、2時間もあとに目が覚めて「間に合わない。ああ、午前の予定はキャンセルだ」などと言うことも昔はありました。
冬はまた、大変です。
枕元の湿ったタオルがかちかちに凍っているときもあります。
起きるのがつらいので暖房のスイッチを入れてまた布団に潜り込みます。
イヤなことや難しい問題が頭の中をぐるぐる駆け巡って、いつまでも不愉快な気分のまま起き上がらない。なんていうこともあります。

起きるのがつらい時はどうする?

一番いいのは、起きようとしないこと。
自分に取って、一番いいタイミングに、身体が動き始まると、信じて。
二度寝でも、三度寝でも、覚悟を決めて。

どうしても起きなければと思ったら、

床の中で、背伸びをする。二三回。
すこし目が覚め始めたら、手のひらを握ったり開いたりして見る。
少しずつ大きな筋肉をうごかしはじめていると、
気が付いたら起きています。

カパラバティーと丹田呼吸法

よく知られとているように、カバラパティ(कपालभाति)は、瞬間的にした腹を絞って吐く呼吸を10回から数十回連続して繰り返す呼吸法です。
要は、丹田呼吸法を素早く繰り返す方法といっていいでしょう。

ヨーガのマニアのような人は、強く、早く、かなり長時間続ける人がいます。
しかし、私たちのように、心と体を調整しながら、自分のスピリチュアリティーを豊かにして、快適な人生を求めるなら、自分にできる早さと強さで、数十秒から、数分を毎日続けることが、とても有効だと思います。

カバーラバティではありませんが、体の動きに合わせて素早く下腹を絞る呼吸法を10分間程度行うのは、継続できるし、効果もあるのでお勧めします。
youtubeから、呼吸体操 (Short break Breathing)をできるようにしています。
玄朴プロトコルでは、アーサナを始める準備体操として必ず行っているものです。

 

 

言葉の精油

昔、「言葉の精油」と題して、カード―幾枚も作り、配布したことがあります。
例えば、

言葉の精油 2
いのちとは
いのちとは よろこびの波動
よろこびの波動は世界を包む
宇宙を包む
あなたを包む

このような言葉を少し復活しようかな……。

バクティとは絶対的信愛

バクティヨーガなど、バクティという言葉が使われますが、
そういう場合、熱烈信仰とか、かなり激しい心情に基づいて、信愛することのように、理解されがちです。

しかし、「私」を私たらしめる存在の根源に対して絶対的に信じ切っている場合、心は落ち着いていて、静かに存在の根源を味わう=一体となっています。

それ以上でも、以下でもありません。

なお、存在の根源は信仰を持っている人にとっては神、無信仰の人には命という風に理解していいでしょう。

シャバアーサナ

シャバアーサナは、リラクセーション法ではありません。
でも、難しいので普通は、リラクセーション法として利用しています。
僕がインストラクションするときもそうです。

本当のシャバ―アーサナを説明するときは次のように言っています。
シャバアーサナの意味は、屍のポーズといいますが、まさに屍になることをシャバアーサナといいます。

つまり、死体になりきることです。今この瞬間、屍になってみてください。
屍は「無」の状態ではありません。「空」でもありません。

生きていて、そんなことできますか。だから、極限の難しさがあるのです。
ラーマナ マハリシの体験が 「南インドの冥想」(おおえ まさのり訳、編  大陸書房)の23ページにに書いてあります。以下に引用してみましょう。


1896年7月、マハリシが待ち望んでいた精神的体験が、突然彼を襲った。ラマナは家の一階で人りで座っていた。彼はいつもと同じく健康であったけれども、そのとき突然まごうことなき死の恐怖が襲ってきた。彼は今にも死んでしまいそうに感じた。しかしなぜだかわからないけれども、それに打ち負かされはしなかった。彼は穏やかに、今何をなすべきかを自己に問いかけた。
「今、死がやってきた。それはどういうことなのだろうか? 死につつあるものは何なのだろうか? 死ぬのはこの肉体だ。」
彼はそれから四肢を伸ばしたまま横になり、口を堅く閉じて呼吸を止め、外形上はあたかも死骸が横たわっているかのようになってしまった。いったいこの時マハリシの身には何が起こったのだろうか。マハリシはそのときこのように考えていたという。
「ああ、この肉体が私なのだろうか? 周りは静かでひっそりとしている。だが私は私の個性が力いっぱい溢れているのを感じるし、私の内部にある、肉体とは別の「私」の声を聞き取ることさえできる。従って私は肉体というものを超越した意識なのだ。肉体は死ぬけれども、それを超越しているこの意識は決して死ぬことはない。つまり私とは不死の意識なのだ。」
後年マハリシがこの体験を帰依者たちに語ったとき、それはともすれば一つの論理的思考の過程であったかのように解釈された。しかし彼はそうでなかったことを注意深く説明している。その「私とは意識である」という理解は突然に閃いたのである。「私」とは極めてリアルで、また唯一のリアルな実在であった。こうしたことを彼はすべて直感的に悟ったのである。

引用は、以上です。シャバアーサナとは、このような体験を促すものと考えると、シャバアーサナ(屍のポーズ)と呼ばれる意味が分かると思います。
「南インドの冥想」ほど、ヨーガの本質を分かり易く書いた本はないでしょう。
ぜひ読んでいただきたい本のトップに入ると思いま。

 

マハーバーラタの心 ヨーガの心

マハーバーラタの心
ヨーガの心
それは 
  信念をもって生きよ!
  自分の目標を正しく見極めて、
それに向かって生き抜け
  必ず実現する!

マハーバーラタの英訳本( Kisari Mohan Ganguli, tr. 訳)で、yogaという単語が出てくる部分を調べている。まだ途中だが、yogaという言葉は「様々な登場人物の悩みに答える部分の中に多く出てくる」、そこからにじみ出てくるコンセプトが、上記の言葉だ。

「本当に行き詰まった」「何もかも自信が持てなくなった」
そういう時、社会的立場や環境から、いったん「自分は、本当は何を求め、何をしようとしているのか」に、焦点を当ててみよう。

自分の本心に焦点を当てて、自分中から出てくる答えを読み解くとき、不思議な確信を得る。その確信が、上記の言葉の中の「心」の意味だ。
Yogaの心は、他の何物でもなく、まさにこれなのだとわかる。

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