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血圧測定で分かってきたこと

毎朝、目が覚めてすぐ、私は血圧を測ります。
「安静状態」のとき、「自然呼吸をしている」とき、「呼吸法をしている」とき、「ヨーガを始めてから」など、いろいろな条件で何回も血圧を測っています。

始めたのは4年ほど前ですが、続けているといろいろなことがわかってきます。

例えば、次のようなことがはっきり確認できるようになりました。

「ただ頭の中を考えがぐるぐる廻る」ときと、「何かしなければならないことや心配事を考えている」ときと、「意識が身体に置かれている」ときとでは、安静にしていても血圧は大きな違いを持つことです。

心の置き方が、身体に影響を与えていることがとてもはっきりとわかるのです。

意識が身体に落着いているときが、血圧が低く安定しているのはもちろんです。
その様な状態になるには、呼吸法がいいけれども、ヨーガはもっといいことがわかりました。
ヨーガでは、もちろんしっかり呼吸法をしながら行います。
ヨーガを10分から15分ほどしていると、自然に身心が落ち着きます。

このようなことをいろいろと調べているうちに、はっきり分かって来たことは、日常の生活活動では、考えていることと行動がマッチしている時は、身体の内部環境も安定していい状態になることです。

思ったことが上手く行かないような状態が続く事は当然よくありません。
そういう時は、何でもいいから行動を起こす事が大切です。

行動することで意識が切り替えられて、行動と意識がマッチングしやすくなるのです。
そして身体状態も良くなります。

その最善の方法は、ヨーガや呼吸法だと確信できるようになってきました。
意識が身体に落着き、次なる行動と思考のアイデアが生まれるからです。

とはいえ一日が始まり生活が流れているときにヨーガをするのは難しいので、普段に最も現実的で効果があるのは、三秒間無心術がもっともお勧めということになりました。

呼吸を意識するだけでいい

体と心をつなげているのが呼吸です。

呼吸法ではありません。

どういう意味でしょうか。
簡単な実験をして見るとすぐわかります。
実験は「呼吸を意識する」ことです。

そのとき呼吸で動いている胸やお腹といった体の部位を意識しているでしょう。
そして、同時にただ静かな心がそこにある事を自覚できるでしょう。

呼吸を意識するというのは、具体的には胸やお腹の動きを意識することですが同時に心そのものを意識することでもあるのです。

バラバラである身心を一如にするもの。
それが呼吸。

そのような呼吸が、呼吸法の基礎です。
その上で、呼吸法があります。
そして、それを習慣化して、自分のものになった時、それが自分の呼吸術ともいうべきものでしょう。

舌の位置はどこ?

呼吸法は、基本的に鼻呼吸で行います。
呼気も吸気も鼻呼吸が原則です。
もちろん、鼻が詰まっているときや運動中は口呼吸が当然ですが、座位の呼吸法やヨーガの様な低強度運動、通常の歩行などは、鼻呼吸が原則です。

さて、鼻呼吸をしているとき口は当然閉じています。
この時、舌はどのようになっているでしょうか。

のどの力、舌の力が抜けて、リラックスしていれば、舌は口蓋(上あご)にピタッとついています。

10年以上前に、私の呼吸法を学んでくださり、仕事でも日常生活でも、今ではあたりまえに実践している声楽家がいます。

出逢ってから、今日までほとんど毎月の様に呼吸法の事がテーマの研究会をしています。
その彼女は、それでもなお自分で納得できる声が出ないと言います。

今日は、舌の位置が話題になりました。

話を聞いてみると、普通に鼻呼吸をしているときの舌の位置が、謳う時の声と深い関係があるというのです。

鼻呼吸の時に、舌が口蓋から離れているようだと、力があって遠くまで通る声が出ないのだと言います。

坐禅のときの舌の位置は、声楽にまで関係するということが、今日の勉強会の結論でした。

「治すもの」ではなく「治るもの」

よく、自然治癒力という言葉が使われます。
それはそれいいのですが、私はただ身心に治癒力が備わっているからという意味で「治る」ものと言うのではありません。普通に使われている自然治癒力は、自己があって他己があるという二元的世界でいえることです。科学や医学、医療は、この自然治癒力を元にしています。

自他が一如の世界(無心の有り方)では、病気というものも健康というものもありません。
病気もないし健康もない。

二元的世界の自己が、このことを素直に受け入れると、病気が治るものだということが当たり前に、認知されます。
そういう状態で、治療やケアーを行う時に「多くの病気は治ってしまう」のです。
このことは、体験されると「なるほどそうだな」と納得できます。
「多くの病気」と書きましたが、それは治らない場合が多々あるからです。

その理由は、例えば「治らない」「治りそうもない」と自我が思い込んでいることが多いからです。
それは、無心の在り方ではありません。

無心の在り方になる事が、大切なのです。

この話は、あらゆる事柄に応用されます。
「目的や夢の実現のために、何々をする」ではなく、「目的や夢は、実現さる」ものなのです。
もう一歩突っ込んでいえば「目的や夢は、すでに実現されている」ものです。

こういうことは、体験しなければわかりません。
一度には、なかなか理解できないし、わかってきませんが、呼吸法を続けていると、ある瞬間にこのことを体験するでしょう。また、いつの間にか、このことが解っている自分と遭遇するはずです。

この体験の積み重ねが日常の私の、ごく普通の生活をしている私の快適な歩みを進めていく原動力となっていくはずです。
体験するための土台となる行が、呼吸法なのです。

技を盗む

ある病院に勤めている人の話。

「若い人が入ってきたとき、それが医師だろうが看護師だろうが事務員だろうが、上司は即戦力を求めていて、育てるということをしなくなった。だから今は、若い人が育っていかなくなった」という。

あるいはそうかも知れない。
しかし、逆のことも考えられる。

若い人たちは「技を盗む」ことをしなくなっているということもあるのではないか。
西洋式のやり方で、懇切丁寧に行き届いた教育を受けていて、自分からつかみ取っていくという積極性さがなくなっていはしないか。

私がなぜそのようなことを言うのか。
ヨーガのあるDVDを見ていて「なんでこんなに懇切丁寧に説明するのだろうか」という感想を持ったことがあるからだ。
ヨーガを指導していたのはアングロサクソン。
西洋式の教育というものは、こういものなんだなと、妙に納得したことがあったのだ。

日本の指導の仕方は、先生のやっているのを見て、それを真似しながら、自分のものにしていくというやり方だ。
それが技の伝承である。

「本当に充実して満足できる個人を育てる」ことが指導者の仕事で、若者がその技を磨いて、人間として成長するという道を歩むことを助けるものだった。

年齢を問わず道を歩むという姿勢がなくなった今日だが、だからこそ、東洋的な「道」の思想をしっかりと伝えて行く仕事が、私にあるように思えてならない。

実際、わずかずつではあるが、30歳代から40歳代前半の若者が私のところに来るようになってきている。
未来は、こういう人たちから開けて来るのではないか。

ブーラーナとか気というのは情報の流れのこと

普通日本の呼吸法は、止息ということをしません。
せいぜい、密教の呼吸法の中にある程度です。

ヨーガでは、一般的に止息が行われます。
吸って止めることをクンバカと言い、吐いて止めることをレーチャカ・クンバカと言います。

クンバカはプラーナ(気)を体内に溜めるという意味があります。
プラーナでも気でもいいのですが、これらの言葉は一般的な理解ではエネルギーという意味に使われます。

しかし私は、エネルギーではなくプラーナとか気というのは「情報の流れ」だと考えています。

「流れ」ということは、固定的な情報を意味しているのではなく、いのちがいのちの目的に応じて働いている働きを造りだしているという意味です。
働いているということは、変化し続けているという意味でもあります。

例えば、DVDプレーヤーは電気のエネルギーで動きます。
しかし目的の映像を観るにはDVDメディアにその映像の情報が記憶されていなければなりません。
記憶されているものが、必要なタイミングで使われることで、ディスプレーに映像が映し出されます。

またたとえば、生命を維持するには酸素と食物といったエネルギーがなくてはなりません。
でも、人間が人間として成長し活動するためにはDNAと呼ばれている遺伝情報の中に組み込まれていて必要な時に必要なタイミングで、DNAの情報が発現しなくてはなりません。
遺伝子発現ですね。

この意味でいうと、プラーナとか気とかをどんなに使っても疲労を感じたり、それでおなかがすくということはありません。
優れたヒーラーは、一日に何十人と治療しても「疲れない」と言います。

情報の流れで治すからです。

もちろん活動しているいのちはエネルギーを使って生きているので、エネルギーを消耗するし、廃棄物も出て疲労していきます。
でも、「いいプラーナ(気)」によって効率よくエネルギーが使われるなら、疲労することが少なくなります。

行き詰まっているときに、アイデアを沸かして困難を打開させてくれるのも「プラーナ」によるものです。

つまり私たちが、生活や仕事で目的に向かって歩ませそれを効率よく進めるには、エネルギーではなく、情報の流れを調えていくことが大切で、それを実現する上で呼吸術が大変役立つということになります。

3秒間無心術の意義は、ここにあります。

心と体の一如は3秒間で

心と体がバラバラだと何事もうまくいかないし、都合が悪い。
心と体の齟齬から失敗することは多い。
何かをする時には、身心一如でなくては上手く行かない。

ところが、なかなかそうなれない。

そういうときどうする。
そこに3秒間無心術の出番がある。

なぜでしょうか。
呼吸は体と心を結び付けているものだからです。
結び付けているというのは、語弊があるかもしれません。
もともと一つのものが結びつくなんて言うことはありません。

ただ、私たちが心と体が分離していると感じられるとき、一つのものだということをわからせてくれ、しかも、ほんとうに一つになれるには呼吸法が一番ではないかと思います。

呼吸法をしようというのは、心の働き、つまり意識ですね。
その意識の働きが呼吸筋を動かします。
そして、呼吸筋が収縮伸展しているときに筋肉が心に静けさを与えていることを私たちは、すぐに体験できます。
つまり、筋肉が心を変えていることがわかります。

心は、それに応じて静かに呼吸をすすめます。
そうです。
心が筋肉の動きに変化を与えているのです。
そして、筋肉は、さらに心を調えます。

難しいことを考えないで、吸いきって3秒間、吐ききって3秒間。
息を止める。

それだけでいいのです。

一回で、うまくいかなかったら、もう一回。
やっていると、いつのまにかうまくできるようになります。

そうしているうちに、だんだん体も心も、心身一如のコツをつかんでしまいます。

智慧の書を読んで

知識は、言葉による説明を聴いたり読んでわかる。
智慧の書は、説明を聴いたり読んで、「わかった」と思うのは、わかっていない証拠だ。
すでに本当に分かっているときだけ、智慧の書を読んでわかるものだからだ。

知識は、行動とは関係ない。
智慧は、行動に結びつく。
智慧は、身心一如のものだからだ。

難しいのは、ここからです。
私たちはえてして、自分の知識を「智慧だ」と思っていることです。
「わかった」のほとんどは、わかっていないし、自分の智慧は行動に結びついていると思っていることのほとんどは、知識なので行動に結びついていないということです。

自分のものになった智慧は、それが知恵だとは考えていない。
そんな風に思ってもいない。

言葉として智慧が現れるのは、ふっとしたときに口をついて現れる。
無心の瞬間に、言葉として現れる。
そういうあらわれ方をする。

私は、このごろそのように思えてならないのです。

集中できる時間は

加齢とともに、だんだん集中力が続かなくなった。
何をしても、気が散って、集中できない。
勉強ができないのは集中力がないから。

集中力が続かない悩みというのは、結構あると思います。
スポーツや踊り、歌などの練習でも、これが問題になったりします。

でも、集中できる時間は、長くなくてもいいのです。
長時間集中できないといけない、というのは思い込み。
短い時間でも、何回も積み重ねれば同じです。
実は、それ以上かもしれません。

気が散っている時間は、無駄な時間ではないからです。
なぜでしょう。
集中しているときに、大事なことは脳にインプットされます。
そして、気が散っている時間は、脳が勝手にその問題を処理してくれているのです。
特に難しいことを考えたり、覚えたり、演技できるようにしてくれているものは、意識の奥にあります。
つまり、潜在意識ですね。
意識の奥で、ちゃんと解決してくれるのです。

今までできなかったことが、急にできたりするのはこういう時なのです。

集中していて、どうにもうまくいかなくなったら、それをそのまま放置します。
別のことをしていて、また思い出したときに、戻ってくる。
そうすることで、いくつものことを同時に進行させることもできます。

試合とか、本番の時はどうするのでしょうか。
そういう時は、集中力はいりません。
集中しようと思えば思うほど、うまくいかないことは誰でも経験します。
そういう時は、すべて意識の奥にお任せします。
潜在意識の出番です。
意識は、遊んでいればいい。
短時間の集中の積み重ねと、潜在意識の使い方を覚える必要があるかもしれません。

その方法は、簡単です。
3秒間だけ無心術です。

誰でも3秒間ぐらいは、集中できるのではないでしょうか。
息を吸っている間だけ。
吐いている間だけ。
そして、止息の時だけ。
3秒間。

ストレスフルな生活からの脱却は、ここから始まります。

お産の呼吸術

「今回、産婆さんを呼ばないで一人でしました」
話をしてくれたのは、7月30日に女子を出産し4か月ぶりにヨーガに見えたときでした。
彼女は4人の出産のすべてを自宅で行いました。

「呼吸法はすごいですね」と繰り返し語りながら、陣痛のリズムに合わせて呼吸法をして、お産がとてもスムーズにできたと言われました。

私の教室に来ている人で、何人目でしょうか。
お産が上手くできたと言われる方は、もう数えられない程になっています。

私は、男だから、お産の時にどのような呼吸法がいいのかは知りません。
ただ、私の指導する呼吸法を彼女たちは、自分に合ったやり方に工夫して行っているのだと思います。

陣痛が始まった時、子宮筋と脳との対話があるそうです。
子宮筋が収縮するとその刺激を受けて、視床下部からホルモンが出て、それが子宮筋を収縮させる。
つまり、子宮筋は収縮すると脳へもっとホルモンを出せと言うメッセージを出す。
すると子宮を収縮させるホルモンの量が増える。
それで、子宮はより強く収縮する。その時子宮からは、脳へもっと出せと言う。
ホルモンが増える。
……。

こういうプラスのフィートでバックで、子宮の収縮が強まり赤ちゃんが産道を降りられるのだといいます。

このリズムをよりよくするように、呼吸法が役立っているのでしょう。
呼吸法が、脳へ何らかの働きを持っている証拠にちがいないと考えます。

呼吸法を普段から行っていると、その時に応じてもっとも合理的な呼吸ができるようになります。
そういうこきゅうができるようになれば、その呼吸法はその人にとって、呼吸術になったといいます。

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