智慧と知識のちがい
人類は、新しい知識を限りなく蓄積していく。
一方、智慧は決して増えない。
なぜなら智慧は、初めから限りなく存在しているものだからだ。
ただ、時に応じて発揮されるだけのことだ。そしてそのときがくるまでは、その姿をみせることはない。
そして発揮された、瞬時に跡形もなく消え失せる。
知識は、記録にとどめそのまま使うことが出来る。しかし、智慧は一人一人の人生の中で、求められるまで開示されない。
もちろん、発揮された智慧を文字や言葉あるいは映像として 、残すことは出来る。
しかし、知識とちがうことは、コピーペーストしても、自分の人生の問題解決に繋がらないことだ。ただ、叡智が自己の内から湧き上がるための触媒として使うことは出来る。
それには私たち自身に課せられる問題に取り組み、解決に向けて真剣な努力をするのみだ。
とはいえ、智慧をよりスムースに開示するための方法はある。
それが、ヨーガや呼吸法のような身体技法だ。
ヨーガや呼吸法をおこなうことで、無心になれる。無心になる事で、叡智が自己の深奥から湧き上がる通路が開きやすくなると、考えたらいいだろう。
結果や効果を考えないで、ただ行う。
行とは、そうしたものだ。