達人の心
武道の達人は常に平常心を維持していると考えられます。
けれども我々凡人には平常心を持ちたくないと願っています。
凡人は、いつも特別な心でいたいと願っています。
「いつも喜んでいたい」
「いつも幸福でありたい」
「いつも満足していたい」
「感動しつづけていたい」……。
凡人は、特別な心の状態をいつも願っています。
「悟りたい」とか深い冥想体験を求めたりするのも、特別な心の状態を求めているのと同じです。
凡人はだから、自分の平常心を否定して生きているのかも知れません?
しかし、いつどんなときでも平常心ででいられることは、至難の業だと思います。
このような至難の業を身に着けたいと思います。
平常心が維持されている時には「これが平常心だ」という意識は、静かに消えていると考えられます。
これを別の言い方をすれば無心ということになります。
無心は、特別な心を指しているのではないのです。