インストラクター : 人に教えるのではなく
ヨーガのアーサナ、呼吸法、冥想を教えているとき、また、講義をしているとき、
本当は、教えているのではない。
永年、ヨーガをしていてつくづく知る。
インストラクターは、自分に教え、自分言い聞かせるものだと、。
教えているつもりでいる時は、本当に教えていないのだ。
教えていないときに、真実は自然に伝わる。
どうもそういうものだ。
ヨーガのアーサナ、呼吸法、冥想を教えているとき、また、講義をしているとき、
本当は、教えているのではない。
永年、ヨーガをしていてつくづく知る。
インストラクターは、自分に教え、自分言い聞かせるものだと、。
教えているつもりでいる時は、本当に教えていないのだ。
教えていないときに、真実は自然に伝わる。
どうもそういうものだ。
波動は、体と心の共鳴。
いのちとは、喜びの波動。
冥想で、内なる世界の深淵にたどり着くと、内なる世界から湧き上がるなにものかが自我に接触する。
その時自我は、静かな喜びの波動を感じる。
その喜びの中から、新しい何者かが実現していく。
これは、思考、つまプラス思考というものではなく、思考を超えた、命の波動だ。
こんな質問がありました。
「私は、生きがいについて、気にしたことがありませんでした。生きがいは、人生の目標のようなものと思っていたのですが、いつのころからか、生きがいがはっきりしなくなっていました。
生きがいをはっきり感じられるようなアドバイスをいただけませんか」
こういう質問を若い方から、時々受けます。
こういう時、私は次のように答えます。
「生きがいは、環境の変化によって変わってしまうことがありますが、身心の成長の過程で変化するものです。
内なる自己が成長することから『生きがい』がわからなくなるのは、当然のことです。
そういう時は、潜在意識から、新しい『生きがい』が現れてくるのを待っていればいいのです。
易経の水天需(すいてんじゅ)という卦があります。
この中に「雲の天に上るは需なり。君子もって飲食宴楽す」という言葉があります。
この意味は「今か今かと雨を待っているときに、雲が厚くなってきました。もうじき、降り始めるのだから、あせらずに、ごちそうでも食べながら待(需 )っていればあなたの願いはかなえられるでしょう」です。
「これは、一所懸命生きている人の自分の立場を正しく理解している人の待ち方です」という意味が付け加えられています。
「全力で…」という言葉があります。
「全力」とは、何でしょうか。
例えば、野球で「全力投球」という言葉があります。
筋力を最大限に発揮することなのでしょうか。
「絶対に三振に打ち取ってやる」というような強い意志をもって投球することなのでしょうか。
そう、これらは、単なる「力み」でしかありませんね。
では、
どういうことをするのを「全力」という言葉を使うのでしょうか?
私は最近ちょっとしたことから、腰を痛めてしまいました。
検査してもらった結果、骨に異常がなかったことから、筋、腱の炎症がおさまるまで、休養が大切だということになりました。
ただそれだけでなく、筋力が衰えてしまわないように、ゆるりゆるりと体を使いながら、その時々の状態に応じた、姿勢と呼吸と動き方を工夫する毎日がまた、大切になるったわけです。
これは、まさにヨーガですね。
こういうとき、動作の一つ一つを全力で行わなければなりません。
それは、力みがなく、無心の冥想をするような感覚です。
「ああ、全力とはこういうことなのだなあ」と実感しました。
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アーサナで、体が軽くなる。
呼吸法で、元気になる。
冥想で、智慧が磨かれる。
あまり考えずに、気軽に、毎日、そんな感じでやっていて、時々言葉が浮かんでくる。
でも、いい言葉だなと思っても、終わるとすぐに忘れてしまう。
たまたま今日は、覚えていた。
これがいことなのか、悪いことなのかは、わからない。
アーサナは、自我を頼る。
呼吸法も自我を頼る。
冥想も自我を頼る。
無は何も頼らない。
無は、神秘の扉を開く。
無は想念ではない。
無は、冥想ではない。
無は、時間がない。
無の時、神秘の扉は一瞬にして開く。
利口だと思っていると、自分が考えたことを語る。
利口だと思っていないと、事実だけを語る。
いいことをしていると思っているときは、うそをつく。
悪いことをしていると思っているときは、真実を語る。
支配しようと思っているときは、捏造する。
平等だと思っているときは、何も語らない。
正しいことは、必ずしも正しくない。
誤りは、必ずしも誤りではない。
質問がありました。
「どのように呼吸法をしたら、効果が出ますか、…」
答えは、簡単です。
「続けることです。1日に、30分ぐらいずつ、必ず毎日する」
私は、思います。
呼吸法の極意は、これしかないと、。
幸運は、兆しにもならないような小さな出来事から始まる。
だから、どんなことでも丁寧に取り組み、一つ一つを積み重ねていくことが大切だ。