呼吸法の極意
質問がありました。
「どのように呼吸法をしたら、効果が出ますか、…」
答えは、簡単です。
「続けることです。1日に、30分ぐらいずつ、必ず毎日する」
私は、思います。
呼吸法の極意は、これしかないと、。
質問がありました。
「どのように呼吸法をしたら、効果が出ますか、…」
答えは、簡単です。
「続けることです。1日に、30分ぐらいずつ、必ず毎日する」
私は、思います。
呼吸法の極意は、これしかないと、。
3月に折居由加さんに頼まれて、ある掲示板に出すために作った画像です。
さっき電話で話していて、思い出しました。これで書いたことはシンプルですが、最も基本で大事なことだと、今でも考えています。
特別な意識状態を得るためとか、大きな問題を解決するためとかに、冥想・坐禅をするのもいいかもしれない。
しかし普段のあたりまえにする生活行動のなかに、坐禅・冥想はある。
それに気が付かないだけだ。
それをそのまま深めれるには、特別なことをする必要もない。
姿勢を調える(アーサナ)こと、呼吸を調えること(プラーナーヤーマ)。只そのようにすればいい。
自分が本当に求めることが今あれば、生活を調える。そして只姿勢を調え、呼吸を調える。
それを無理なく気持ちよくできるには、当たり前の生活を調えることだ。
心の問題も体の問題も、悩んでいることは、同じだろう。一番効果のあるやり方は、
セロトニン呼吸法(徹底した丹田呼吸法)をしっかりするうちに冥想になっている。その冥想をすることだ。
さて、アーサナはそのまま冥想でもある。
一つづつのアーサナは、坐法そのもので、そのまま冥想状態になっている。
このようなアーサナをするには、冥想をしばらくしてからアーサナを始めるのがいい。そのとき、アーサナは自然に冥想になっている。
坐ることがもともとアーサナだった。やがて、体をいろいろな形に変えた状態をアーサナというものが生まれた。この意味でいうと、ヨーガのたどった歴史通りに行うと、冥想アーサナとなる。
つまり、呼吸法をして冥想をして体位を変えるアーサナをする。この順番は、なかなかいいものだ。
そのあとの身心は、快適になっている。
「ようやく審査が通りました」
彼の声は明るかった。
その声で私の心にも明るく光がともった。
希望を持つことって、何よりも大切なのではないか。
そんな思いが心をよぎった。
いつでもだれもが、腹に力が入り明るい声で話ができますように!
希望をもっているとき、誰でも容易に腹に力が入り、声は明るくなる。
先が見えず、苦しみぬいていた彼に、ようやくはっきりとした解決の道が示されたのだ。
では、苦難の道を歩んでいるときは、どうしたらいいのか。
何千年も前から、同じ答えが繰り返されている。
それは、
今、やるべきことをただやり続ける。
よくなることを信じ切る。
そして待つ。
苦しくてもつらくても、結果を先取りせず、今あるがままに、……。
ただ、心をそのように調えるのは難しい。
その時は、体から始めよう。
下腹と腰に力を入れて吐き切る。
そういう練習をすることだ。
いつでもどこでも、気が付いた時にそれはできる。
いつでもだれもが、腹に力が入り明るい声で話ができますように!
わかる。
答えが分かる。
おのずとわかる。
感じるのでも、知るのでも、把握するのでもなく、わかる。
分かった通りに行えばいい。
ただわかる。
それ以上でもなく、それ以下でもない。
現成する。
何かが現成する。
それをわかるという。
それは、どこからかわからない、どこかから意識の上にやってくる。
あらゆる問題の答えは、いつでもそこにある。
そこにあるけれども、そこというところはない。
自分に降りかかるすべての問題の答えが、そこにある。
でも、答えのすべてが今、現成することはない。
自分にとって今、必要な答えだけが、必要な瞬間に現れる。
その瞬間のことを機という。
機に任せて大安心をして、今、行うべきことを唯行っていればいい。
機に応じて動き。
機に応じて語り。
機に応じて休む。
機に応じて食べる。
それがわかるということ。
わかるためには、感性を鋭くしていなければならない。
大安心をして、感性に任せる。
そのために、呼吸術がある、そのためにヨーガがある。
呼吸法とは、呼吸を意識して行う方法の事です。
ヨーガには、たくさんの呼吸法があります。導引術や気功法にも多様な呼吸法が知られています。古武道などで伝えられている日本の呼吸法たとえば丹田呼吸法もあります。
私は、すべての呼吸法を知っているわけでもないし、マスターしようとしたわけではありませんが、多くの呼吸法を練習するうちに、どの呼吸にしても実際には、呼吸に関するすべての筋肉が使われていることに気が付きました。
すべての呼吸筋を意識的に使う呼吸法をヨーガでは完全呼吸法(यौगिक श्वसन ヨーギク シュワサン)といいます。そして、この完全呼吸法がすべての呼吸法の母なる呼吸法ではないかと思うようになりました。
そして、この母なる呼吸法をしっかりできるようになると、様々な呼吸法をマスターするのが容易なことも体験しました。
そして、母なる呼吸法の要(かなめ)は、下腹を絞って吐くことにあることにも気が付いたのです。
これが、「ここ一番に強くなるセロトニン呼吸法」の原点の呼吸法でした。そして、私のこの考え方は今日まで、変わりません。
私は、若い頃から片足立ちが苦手でした。
ヨーガには、片足で立つアーサナは多いのですが、いまいちすきでなかったのです。
一方、加齢とともに片足立ちができなくなると言われています。
そして、片足立ちは、ダイエットになるとか、認知症予防になるとか、ウォーキングの50分の効果があるとか、いろいろ言われています。
最近、「少しはできた方がいいかも」と、思ってやってみました。
ヨーガのアーサナではなくて、普通に片足をちょっと上げるだけを試したのです。
意外なほど簡単にできるので、「アレ!?」と、思いました。
左右どっちの足も、続けて立っていられます。
若い時には、すぐグラグラしたのに、今はそんなことがありません。
どうしてなのか。考えてみました。
足腰の筋力は、昔よりずっと衰えているはずです。
集中力だって、昔のほうがずっとありました。
そして気がついたのは、
ちょっと身体が揺れた時の感覚が以前と違っていることでした。
ちょっとグラっとしただけで、「あっ。倒れる」という感覚が以前はありました。
ところが、今は、倒れる気がしないのです。
自然に、「倒れるはずがない」と、感じている自分がいます。
それで、「ああ、この感覚があるから倒れないんだな」と気が付きました。
昔は、こういう感覚になろうとしてもできなかったのに、と考えてようやく気がついたのは、
三秒間無心術の効果でした。
息を吸って三秒間、吐いて三秒間の止息、これを日常的にやっているだけで心の置き所が、変わってきていたのです。
昨日、ちょっとしたトラブルがありました。
それを一日引きずって、「今夜は眠れないかな」と思いました。
夜床に入る前、しばらく3秒間無心術をしました。
落ち着きがもどり、いつもの様に眠ることが出来ました。
この時、昔 師が言っていた言葉を思い出しました。
それは、「天行健 君子以自彊不息」です。
師が若い時に、行っていた印刷業を止め、無職の状態が何年間も続いた時でした。
奥さんと子供二人を抱えて、それでも3年、4年と耐えていたのです。
暗い事、い由な事、不安ばかりが頭を巡り、悶々とした夜を迎えていました。
師は、易を毎日立てていたのですが、そういう日々に立てる易の卦は、
からなず、易経の第一番目にある、乾為天だったのです。
これは、
「天行は健なり 君子もって自彊(みずからつとめて)してやまず」
と、読みます。
日月星辰、天の運行は大昔から今日まで、そして未来永劫に変わることがない。
君子たるものは、天の運行のように変わることなく、日々努力すべきである」という意味です。
そして、どんなに長い夜であろうと、やがて朝日が昇ります。天の運行というものは、そのように健やかなので、今苦しい状態でも、日々努力を続けていればやがて朝日がさすときがくるという意味も含まれています。
眠れない夜は永い、延々と続き、悶々とする事があります。
そういうときは、この言葉を思い出しながら、三秒間無心術。
また、ヨーガアーサナをいくつかすると、よいでしょう。
ほとんどうまくいきそうだったのに、一点に問題があって、全部だめになりそうだ。
まだ駄目だと決まってはいない。それなのに駄目だった時のことだけが、心を占拠する。
先ず、呼吸法をしよう。3秒間無心術だ。
そしてヨーガをしよう。
占拠したものを否定せずにいると、それは消える。
そして、あらたな芽生えを待とう。
自己の内から湧き上がる芽生え。
それは不思議なことに、状況の好転とリンクする。
一つでも、良い事があるはずだ。
それを心にとらえて、そこから育てる。
それがすへてを好転させてくれる。
それが指名なら必ず実現す。