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資格ってなんだろう

昨日、「このヨーガコースを終了したらその人に、インストラクターの資格を与えますか」と、問われました。

「うーーーーーん」私は答えに窮した。
資格とか、証書を欲しいと言われることがある。そして年単位で何回も講義と実習を受けた人に、そのようなものを書いてあげることがある。
一番最初はずいぶん昔のことだが「放送大学で『地域の公民館などで行われている教室に一定期間参加した人には、体育の単位の習得を認められる』とか言うことで、頼まれて書いた。
整体とかカイロなどの治療師をしている人に頼まれて、書くこともある。仕事に役立つらしい。

紙切れだけど、それがなにかの役に立てばと思う。
世の中には、ヨーガ教室ばかりでなく、いろいろな資格がある。
学校を卒業したとか、医者とかの資格など数えだしたらキリがない。
それらは、みんな人に認められるから、欲しいのだと思う。

そういうものは「あってもなくてもいい」と本当に思うまで何十年かかったろうか、ずいぶん年月が必要だったように思う。

本当の師(グル)Ⅲ

己こそ、己の師
他のどこに師がいようか。

誰を師としようと、大勢の師を得て、学ぼうと、
人生の眞、本来の面目は唯一つ、
それをつかむものは、己しかいない。
だからといって、掴み得たものは己でもないし、己のものでもない。
それは、ものではないからだ。

己において、それは現成している。
現成させている何かを仮に師と呼ぶに過ぎない。

 

 

本当の師(グル)Ⅰ

私は山村に住んでいます。
農家のおっさん、おばさんが、農業という自分の行う営みに、深く意味を見出し、そこを自分の歩むべき道だと自覚しひたすら歩むとしたら、そのおっさん、おばさんは、私たちにとって、師と呼ぶべき人物でしょう。
そういうおっさんおばさんが、本当のヨーガのグルでありましょう。
町に行けば、町のおっさんおばさんで、そよのように自分の営みを歩むべき道を自覚していれば、師でありましょう。

私は、ヨーガというものをそのように考えています。
皆がそのようになれるように、基礎としてのヨーガを伝えるのが私に与えられたミッションだと、考えています。

 

「世界はアーシュラム」ってどういうことですか?

ある人に聞かれました。私は、次のように考えています。

アーシュラムとは、道場のことですね。
たとえば、ヨーガ アーシュラムといえば、ヨーガの道場のこと言うのはご存知のとおりです。
修行者の住む庵を指したり、自分の家を指すこともあります。たとえば、インドを独立に導いたガンディーは、サーバルマティー アーシュラムを拠点に活動をしたことで有名です。このアーシュラムで彼はカースト制を否定しすべての人間は平等だという考えを徹底して実践したことで有名です。

話を元に戻すと、アーシュラムとは道場のことです。
この意味で、自分が生きている世界そのものが、自分にとってアーシュラムではないかと思うのです。
以前は、自分の体こそが自分を真に自分たらしめるアーシュラムだという使い方もしたことがあります。
だからヨーガをする、だから生活における禅の探求ということがあるのだと、そんな風に考えていました。

それが間違っていたというのではなく、もっと広く、真実の自己を求める者たちが生きているこの世界が、自分を深め、人生を真の人生たらしめる場、家という意味で、アーシュラムという言葉を使ってもいいなあと、この頃考えているのです。

健康法?

ある健康法のセミナーでの話。
幾人かの参加者が、「私は、百歳まで元気に生きる。それを目標にしている」とか、
「この健康法で百歳以上生きるのだ」といっていました。

気合を入れてそれに取り組むのはいいけれども、私は違和を感じました。私は、そのように考えたことがないからです。

19歳の時に、若宮師に出会ったのですが、
そのとき師は「一番面白い勉強は、「自分とは何か」を勉強することだと言いました。

誘われるままに東京の郊外にある師の家に行くと、
ボロボロの三軒長屋の一室でした。
八畳間に古びたじゅうたんが一枚ひいてありました。

天井からは、糸が十数本垂れていて、背丈あたりの高さのところでまとめてあります。
雨が降ると、その下に洗面器を置いて、雨漏りの水滴を集めていたのです。

そこに悠然と坐っている師の姿に、感動しました。
資金を提供する人がいて、数年後広い家に移り、集まっていた若者たちと共同生活をしました。

その生活は、掃除やマキ割りなどの日常生活と、ヨーガや坐禅、食事は生野菜をドロドロにしたものを食べてから、玄米におかずというものでした。

これらのことは、人生を深めるための道の一つであって、健康法だとは、教わりませんでした。
私も、健康法だとは考えたことがありませんでした。

ヨーガや坐禅、食事は、今日の今、快適な心と体になって、やらなければならないことを気持ちよくできるために、必要なことです。

でも、それで健康を維持するとか、そんなことは考えません。

私がヨーガや呼吸法などで、伝えていることは、健康法ではありません。
「充実し、意味ある人生を送るためには、これがとりわけ優れて、役に立つ方法だ」

ということを伝えたいと考えているのです。

どうやって人生を創る?

食べ物が体を作っている。
では、人生の歩み方を決めているものは何?

呼吸の仕方ではないだろうか。

どんな呼吸をしているだろうか、普段。
このことが人生の歩み方を決めている。
浅く速い、浅く遅い。
深く速い、深く遅い。
力強い呼吸か、弱弱しい呼吸か。

そしてまた、ものごとに向かう姿勢はどうだろうか。
それは、体の姿勢と関係ないだろうか。
腹、腰に力が入っているか。
前のめりか。反り返っているか。

これらは、自分が生きる世界と向き合う時の姿勢と、関係ないだろうか。
食べ物のことばかりを考えているのは、偏っていないだろうか。
健康健康と、健康にこだわるばかりで、大事なことがおろそかになっていないだろうか。

新鮮な智慧

今、最新の知識・知恵でも、300年経てば古くなってしまう。

しかし、3000年前のヤージュニヤワルキャ(Yājnavalkya) の言葉を丁寧に読むと、その中には今もって古びていない智慧が、たくさん入っている。それは、ブリハッド・アーラーニャカ・ウパニシャッドにある。
彼が語った智慧は、300年後も、3000年未来にも通用するのではないだろうか。
何時の時代にも、人の心に響くもの、それういうものが本当に新鮮な智慧というのではないだろうか。
せかせかした今日、こうした智慧の書を丁寧に読む暇は無駄のように思えるかもしれない。
でも、もし心の琴線に触れる新鮮な智慧を読んでみようという気持ちが起きたら、ゆっくりとそういう智慧を捜すところから始めたらどうだろうか。
永遠の智慧は、逃げて行かないのだから。

短期修行 無事終了しました

マクロビオティック農家民宿まはな(三重県志摩市阿児町)で、行われた「依りあいマクロビオティック」で、
9月19日から22日までの短期間修行をしました。

朝 6時半から、慕情が丘まで片道約30分行き、呼吸体操、アイウエオ体操、フリフリダンスで一日が始まる。
・食事は、食前に合唱をしてから 7号食(玄米茶碗軽く1膳に、ごま塩のみの食事)
―マクロビオティック、呼吸法、ヨーガ、エコロジカルな健康法などについての講義と座談会。
―ヨーガ、呼吸法、冥想、ワークショップ、タイ式マッサージ など。
・夜は、座談会と合唱後、リラクセーションヨーガの後、就寝。

20日には、近隣の方々が約30名ほど集まり、マクロビオティックとヨーガの体験会。

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50回ゆっくり噛んで食べる冥想の7号食。

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小島先生と玄朴の講義風景。

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栗の皮をむいたりしながら座談会と講義。

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ワークショップとリラクセーションタイム。

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ごま塩作りも冥想。

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7号食の玄米は、大西さん特性の無農薬有機栽培のお米、台風でも倒れず元気に育っています。

 

生活のムラが心の病を引き起こす

やる気にムラがあって、うつ状態になったかと思うと、幻覚が見えたりして、仕事が続けられなくなった人がいます。
病院では、うつだとか、統合失調症だとかいう診断がされます。
今私は、その人の生活のムラの改善に取り組んでいます。

生活のムラが、身心にいろいろな問題を起こします。
生活のムラとは、睡眠時間、食、仕事、……のリズムがくるっている状態です。

徹夜するかと思えば、一日中寝ていたり。
食事をほとんど食べなかったり、とんでもない時間におかずなしでたらふくご飯を食べたり。

こうしたムラを治すことに取り組んでいます。

もともと、身心の活動には、揺らぎがあります。
睡眠も、食も、仕事も揺らぎがなくなってはいけません。
時計で測ったように、生活を均質なものにしては、息苦しくなって、これまた身心の病の元となるでしょう。

だからと言って、生活にムラは問題となります。

うつや統合失調症の場合、ムラをなくす生活を保ち、継続できるようにして上げられれば、症状はかなり改善させられるはずです。

 

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