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アーサナはヨーガのおもちゃ

アーサナは、シャカリキになって、体を柔らかくする方法ではない。
そんなことをしたら、それはヨーガ アーサナではない。
それは、単なる体操に過ぎない。
アーサナは、筋トレではない。
アーサナは、美容体操ではない。
アーサナは、健康法ではない。
アーサナは、若返り法ではない。
ストレス解消法でもない。
アーサナは、ヨーガのおもちゃだ。

おもちゃなのだから、遊べばいい。アーサナで遊べばいい。

何かワクワクして踊りたくなった時に、踊るように、アーサナをしよう。
ゆったりと気持ちよい呼吸と共に、気持ちよく動かす。

そして、アーサナ(体位)を楽しむ。
無心にアーサナを楽しむ。

それがヨーガのアーサナだ。

資格

資格を捨てることが出来て、始めて資格は獲得されたことになる。
資格を与えるものは、未熟だから、資格を与えることが出来る。

本当に資格を持つものは、ひとに「資格を欲しい」と言われても「そんなものは、どこにもない」と、当たり前に言えるに違いない。

私は、ヨーガやそれに関係するいかなる意味の資格も、普通云う意味で持ったことはない。
なのに、資格を欲しいと言われると「それならこうすれば、資格証明書を出してもいいよ」ということがある。
それは、私が極めて未熟な証拠である。
少なくとも「そんなものは、世界中どこを探しても、あるわけがない」どうしても欲しければ「ほかを当たることだ」と、さらりと言えるようになりたい。

これは、最小限の希望だ。
これすら超越したところが地平線のぎりぎりのところにようやく見え始めた。

 

バガヴァッド・ギーターを読む カルマヨーガ

私たちの心の中に、いいことをしているという自惚れがあると、
正しいことをしているという自惚れがあると、
その結果を、見返りを、求めることになります。

バガヴァッド・ギーターで繰り返し説いている「行為の結果を捨てよ」ということは、
自惚れが消えた状態になりなさいということかもしれません。
淡々と行うとか、
自然でありのままに生きるとか、
そういうことは、自惚れが消えている状態でしょう。

カルマヨーガの難しさ、困難さは
そのような自分を素直に見つめて、
生活行動を、心を、調えて生きることにあるのかもしれません。

24時間ヨーガ

ヨーガは、アーサナをしているときだけがヨーガではない。

呼吸法をしているときだけがヨーガではない。

冥想しているときだけがヨーガではない。

ヨーガは、24時間すべてが、ヨーガタイムだ。

これをバクティヨガと言う。

これは、禅でもある。

姿勢や呼吸法を忘れて自然体

姿勢が調い、呼吸のリズムができたら、何をどうやってという方法は自ずから忘れます。
自分が納得できている時、体のことは気にならなくなり、自然に心も体も自己のうちに落着きます。

そういう時は、心配事、心をざわざわさせること、気になること、それらは静かに消えて、今自分のすることに心も体も坐ります。
坐って歩ける様になるといえばいいでしょう。

それが自然体です。

体が覚えたら、忘れる。
体が忘れていないか、時々確認する。