逆説の真理

利口だと思っていると、自分が考えたことを語る。
利口だと思っていないと、事実だけを語る。

いいことをしていると思っているときは、うそをつく。
悪いことをしていると思っているときは、真実を語る。

支配しようと思っているときは、捏造する。
平等だと思っているときは、何も語らない。

正しいことは、必ずしも正しくない。
誤りは、必ずしも誤りではない。

 

呼吸法の極意

質問がありました。

「どのように呼吸法をしたら、効果が出ますか、…」

答えは、簡単です。

「続けることです。1日に、30分ぐらいずつ、必ず毎日する」

私は、思います。

呼吸法の極意は、これしかないと、。

思い込みを捨てる

「アーサナができるようになった」「病気が治った」などというときの「できる」とか「直る」という言葉を単純に考えがちですが、「自分ができた」というときの「できた」「治った」の意味が、ほかの人の「できた」「治った」とは、必ずしも同じではありませんね。

しかし私たちはつい、「自分と人は同じ考え方、同じ単語には同じ意味で使っている」と、思い込んでいるものですね。

このことを静かに反省させてくれる文章に出会いました。

医療ジャーナリスト・北村昌陽氏が味わった“世界観の転換” です。

このことの真の理解は、ヨーガを追求するうえで、とても大切なことだと思いました。

 

君の魂は何を選び、いかに実行し続けるのか?

「君の魂は、何を選ぶのか? いかにそれを行い続けるのか? 私は無時間(無限時空)の世界で、それを見守っている。」
バガヴァッドギーターで、クリシュナが今語るであろうことを要約すると、こうなるに違いない。

“What does your Soul choose? How do you keep doing it? I am watching over it in a timeless (infinite space-time) world.” To summarize what Krishna would say now in Bhagavad Gita, it must be.

常のヨーガにあらず 常の名にあらず

ちょっと遊んでみました。
老子「道徳教」をヨーガに当てはめたらどうなるだろう。

人がヨーガだというヨーガは、ヨーガではない。
アーサナだというべきものは、アーサナとは呼ばない。

アーサナだと名付けるものはない。
名前がないところが、ヨーガの始まりだ。

名前を付けると、アーサナは無数にできてくる。

ヨーガで何かしようなどという欲望がなければ、妙なる本質を見るし、
欲望があるとアーサナという形体を見ることになる。

本質と形体は、もともと同じだけれど違って名付けられる。

その同じものを玄という。
しかし、玄というとまた二つに分かれてしまう、だから玄の玄を追求する。
そこに、妙なる本質への入り口がある。

道徳教は、どう書いてある?  
「道の道とすべきは、常の道に非ず。
名の名とすべきは、常の名に非ず。
名無きは天地の始め、名有るは万物の母。
故に常に無欲にして以て其の妙を観、常に有欲にして以て其の微(きょう)を見る。
その両者は、同じきに出でて而も名を異にする。
同じきをこれ玄と謂い、玄の又玄は衆妙の門なり。

他にどんな書き換えができるかな……。

 

こだわらない心

自分の抜け殻にこだわる動物はいない。
蛇でも昆虫でも、抜け殻はもう自分の一部ではないからだ。
ところが、人間は違う。
つい、業績、実績などにこだわってしまう。

他人もそうだ、人の実績を評価する。
それは抜け殻を評価するようなものだ。
評価される方はうれしいし、ありがたい。
資格が得られたり、収入が増えるからだ。

そして、抜け殻を抱えていると、だんだん重くなる。
重さに耐えられなくなる人もいるだろう。
虚しさを感じる人もいるだろう。
でも、どうしてもこだわりを捨てられないのだ。

でも、新しいものを次々に創っていく人は違う。
抜け殻なんて、忘れるからだ。
なぜ?
創ることは、喜びだから……。

 

やっぱり呼吸法

3月に折居由加さんに頼まれて、ある掲示板に出すために作った画像です。
さっき電話で話していて、思い出しました。これで書いたことはシンプルですが、最も基本で大事なことだと、今でも考えています。

深さ

        深さ
深さのない生涯はさびしい
カントはその町以外に
ただ一歩も踏み出さなかった
キリストの伝道区域は
わずかに方二里であった
あえて問う、活動とはなんの謂(いい)ぞや
あれをみよ深山(ミヤマ)の奥に花ぞさく
       まごころつくせ人知らずとも
人生はひろさよりも深さである
                                      (後藤静香著、権威より)

コロナ時代に、改めて考えています。
ついでに、もう一つ後藤静香の言葉をご紹介します。

必ず変わる
三日でも変わる
三年たてば
見違えるほど変わる
いくつになっても
その気になれば
ぐんぐん進む
変わることを信じて
発奮すれば
必ず変わる
この信なくこの勇なきもの
あたら宝玉を塵(チリ)にうずめる

今のコロナ騒動は、新しい時代、新しい自分に変わるチャンスのような気がします。

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