熱中症とコロナ

今年の夏は、熱中症が心配されている。つまり、マスク着用が熱中症になりやすいと。

ところが、熱中症の症状がコロナの症状とよく似ていることで、紛らわしい。そういう注意を喚起するサイトがあった。
何が似ているかというと、「全身倦怠(けんたい)感、頭痛。吐き気や食欲がないといった消化器症状。筋肉痛、関節痛、発熱」である。
この文面を読んで、皆さんはどう感じるだろうか。
私は、セリエのGAS(汎適応症候群)を思い出した。

セリエは、「病気、そして毒や過労、人間関係の不和、けが、やけどなど刺激を受けるとその刺激に対して人間は、非特異的に反応する」というストレスの概念の基本を世に示した人だ。

ヨーガというのは、まさに様々なストレスに対して身心が疲弊していくのを非特異的に防ぎ、適応能力を高めるものだ。

このストレス学説は、西洋科学が産んだ概念だが東洋的な身心思想に通じる重要な学説だ。

ヨーガに興味を持って、これを続け、また人にもこれを伝えようとする人は、セリエの事を詳しく勉強しておく必要があるかと思う。
その理由の一つに、彼が最初に学生時代に抱いた疑問を最終的に解き明かしていく、姿勢と態度に感動を呼び起こすストーリーがあるからだ。これは、「生命とストレス」(ハンス・セリエ著、細谷東一郎訳、工作舎)に書かれている。
この本は、どんなことでも、研究し、探求をする人には、とても参考になると思う。

 

坐禅の半眼のこと

冥想をしているとき、時々気が付くと半眼になっていることがある。
ヨーガの冥想は閉眼である。半眼は、坐禅だ。

半眼になった時とは、どういう状態か。
体験から得た結論をいえば「抗重力筋がしっかり働いていながら、表情筋などがリラックスしている状態」だろう。「意識が明確で頭がすっきりとしているが、心はリラックスしている状態」ともいえよう。

このことから、2つの事が思い出された。

1.  ハタヨーガプラビティーカの4‐36,37,39に、開眼の冥想の事。4‐41には半眼の冥想の事が書いてある。
つまり、ヨーガの冥想は必ずしも閉眼ではないである。

2. 坐禅の半眼については平井富雄先生が昭和40年代(1970年頃)に、坐禅の脳波研究を詳しく行っている。
坐禅をしているときは、脳はリラックスとしてるが何かの刺激があると直ちに反応する。ヨーガの冥想の場合は、刺激に対して全くの無反応である。関心のある方は、「座禅の科学」(講談社、昭和57年)、坐禅健康法(ごま書房、昭和49年)を読まれるといいだろう。
また、開眼の冥想と閉眼の違いについては、有田秀穂と共著で書いたセロトニン呼吸法の本でも取り上げているので読んでいただきたい。

ヨーガ活動をする人は

何らかの形で、ヨーガを自分の活動の中に組み込んでいる人は、もしかすると、内面で何かの葛藤あるしは苦悩を抱えている人なのかもしれない。
そうでないと、真剣にヨーガに取り組めないような気がするのだ。ただ気持ちがいいとか、健康になったというだけなら、自分のヨーガを深めていこうという発想が生まれないだろう。自分のヨーガを深めようという熱意がなければ、人にヨーガを語る気持ちが起きにくいような気がする。
私自身がそうであるだけでなく、いろいろな人の話を聞いていてそのように思える。

 

忘れられたピースを埋める

私はなぜヨーガや仏教の歴史に興味があるのだろうか?
いつの時代でも、人は悩み、苦闘している、個人も社会も。
不安、恐怖、孤独、無力、絶望…。それらを乗り越えるために戦う人間の、内的努力から生まれた、答えがそこにあると考えるからだ。

ヨーガの古典で重要なものは、普通はヨーガスートラが第一に挙げられるだろう。少し興味を持っている人は、ハタヨーガプラビティーカ、バガバッドギーターを上げるに違いない。私もだいたいそのあたりから話を起こしている。

昨日、勝又まりさんの陰ヨーガの講義から思い当ることがあって、本山博著「密教ヨーガ」を開いていたら、ヨーガスートラとハタヨーガプラビティーカの間に、私が忘れていたヨーガの古典の事が書かれていた。
「ヨーガの古典には、忘れているピーズがあるなあ」と思い、エリアーデ著「ヨーガ① ② 」を探すと、たくさんある。

パズルのピースを一つづつ埋めてみたい。
今の私たちの悩みの答えの新たな一つが、そのピースの中にあるかもしれないからだ。

 

ヨーガとは魂の共感

技、技術、テクニックそういうものはどうでもいい。
知識、智慧、何にも要らない。
教えたり、教えられたりすることもいらない。

私は、昨日も講義をし、アーサナ、呼吸法、冥想の指導をしてきた。
そこには、魂の共感があっただろうか。

日本人の心の特長は三つある

ヘルマン・ホイヴェルスの随想集「人生の秋に」の中で、ふっと目に留まった言葉がある。
「いただく」「捧げる」「落ち着く」だ。

ホイヴェルズは次のように書いている。
「私は日本人の心の特徴は、次の日本語に表れているように思います。
「いただく」「捧げる」「落ち着く」の三つです。

彼はドイツ人、キリスト教の宣教師だ。1923年に来日し、関東大震災、第二次世界大戦を経験し、1977年なくなるまで、日本で宣教活動をしていた。
彼は日本人と接するうちに、キリスト教の中に東洋的な感性を統合していったのではないかと思う。

でも、今の日本人からは、こうした感性は失われつつあるのではないか。
コロナに恐怖し揺れ動く数々のニュースを見ていてそのように思われるのだ。

 

どうしたら攻撃的な言葉を使わないで済むだろうか

今、世の中にはアグレッシブな言葉があふれている。とりわけ、ネットの世界で強く感じる。心の中に潜む攻撃性は、自分ではそれと気が付かないまま、言葉として現れる。
こういう言葉を聞くと私はとても悲しくなる。

新コロナウイルスの問題でも、政治の問題でも、国際問題でも、経済の問題でも、おしなべて攻撃的な言葉であふれかえっている。
「何故なのか」とか「これがどんな結果を産むか」という事よりも、
このような心を胸の内に抱いている私たち人間の存在が、無性に悲しいのだ。

少なくとも、私自身の中にあるそのような心を静めていたい。
そのために、私はヨーガをする。呼吸法をする。
次の5時間ヨーガで取り上げようと考えている、アーナーパーナサチの研究もそうした試みのひとつだ。

 

活力呼吸法

活力呼吸法
素早くやれば、カパーラバティー
ゆっくりやれば、アーナーパーナサチ

カパーラバティーは、脳を活性化させ判断力、行動力を高めると同時に、不安を鎮める効果があることが、よく知られています。しかも、長時間行う必要はありません。
ただ、出来るようになるには、かなり練習が必要です。これを呼吸体操しながら練習すると、同じ効果が楽に得られます。吐くときに一気に会陰から下腹を絞ります。

アーナーパーナーサチは、お釈迦さんの呼吸法としてよく知られています。これを。呼吸を意識しながら静かに呼吸する方法です。これを続けていると、心が穏やかに安定し、過激な言動や人の心を突き刺すような一言が次第に減少していきます。真実の自己に目覚める瞬間が現れるようになります。
ゆっくりと静かに吐いていく呼吸です。この時、活力呼吸法(丹田呼吸法)の要領で、会陰部周辺から下腹にかけて(ムーラーダーラ~スワディシュチターナチャクラ)に心を置いて行うことが効果を高めます。

不安/恐怖をどう受け止めるか

今、私たちは不安/恐怖の状態に陥っているのではないかなと思う。それは、大震災の時ととても似ているような気がする。私の間違いかも知れないが、……。

大震災の時に、自分のブログに書き続けたことがあった。それは「不安や恐れを抱いている時、どんな考え方をしたらいいのか」だった。

その後にまとめて、amazonのkindle版「三秒間無心術で快適人生」を書いた。しばらくの間、ベストセーラになり、今でも少しずつ読まれているようだ。

たぶん今でも、役に立つ内容だと思います。
読んでいただけたら、幸いです。

ヨーガスートラとバガヴァッドギーター

ヨーガスートラは、すでに悟った人がその立場から、苦悩を取り除く技術を教えるものである。
一方、バガヴァッドギーターは、苦悩する人間が、自問自答し苦しむ中から最後に、心の平安を得て、前に向かって歩む人間の姿が描かれている。


勇者アルジュナが私たちの自我だとすると、クリシュナ神は真実自己そのもの、自我と自己との内的対話だという理解で読むことで、私たちの心に深く刻まれるものが、ギーターだということが分かる。

誰でも容易にそのように読めるが、時にはギーターは戦争や殺し合いを擁護する教えだと、誤解する人も出てくる。
このことについて、きちんとした論証をした人物は、ガンディーである。
関心のある方は、不服従非暴力で独立を勝ち取ったガンディーのことを調べるといいだろう。英語ならネットで、彼の論証を読むことが出来るが、日本語だと「ガンジー」(紀伊国屋書店、ルイス・フィッシャー著、1968年)をお読まれといいだろう。

1 2 3 11