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母なる呼吸法

呼吸法とは、呼吸を意識して行う方法の事です。

ヨーガには、たくさんの呼吸法があります。導引術や気功法にも多様な呼吸法が知られています。古武道などで伝えられている日本の呼吸法たとえば丹田呼吸法もあります。

私は、すべての呼吸法を知っているわけでもないし、マスターしようとしたわけではありませんが、多くの呼吸法を練習するうちに、どの呼吸にしても実際には、呼吸に関するすべての筋肉が使われていることに気が付きました。

すべての呼吸筋を意識的に使う呼吸法をヨーガでは完全呼吸法(यौगिक श्वसन ヨーギク シュワサン)といいます。そして、この完全呼吸法がすべての呼吸法の母なる呼吸法ではないかと思うようになりました。

そして、この母なる呼吸法をしっかりできるようになると、様々な呼吸法をマスターするのが容易なことも体験しました。

 

そして、母なる呼吸法の要(かなめ)は、下腹を絞って吐くことにあることにも気が付いたのです。

これが、「ここ一番に強くなるセロトニン呼吸法」の原点の呼吸法でした。そして、私のこの考え方は今日まで、変わりません。

片足立ちで倒れなくなる : 三秒間無心術の効果

私は、若い頃から片足立ちが苦手でした。
ヨーガには、片足で立つアーサナは多いのですが、いまいちすきでなかったのです。

一方、加齢とともに片足立ちができなくなると言われています。
そして、片足立ちは、ダイエットになるとか、認知症予防になるとか、ウォーキングの50分の効果があるとか、いろいろ言われています。

最近、「少しはできた方がいいかも」と、思ってやってみました。
ヨーガのアーサナではなくて、普通に片足をちょっと上げるだけを試したのです。
意外なほど簡単にできるので、「アレ!?」と、思いました。
左右どっちの足も、続けて立っていられます。

若い時には、すぐグラグラしたのに、今はそんなことがありません。
どうしてなのか。考えてみました。
足腰の筋力は、昔よりずっと衰えているはずです。
集中力だって、昔のほうがずっとありました。

そして気がついたのは、
ちょっと身体が揺れた時の感覚が以前と違っていることでした。
ちょっとグラっとしただけで、「あっ。倒れる」という感覚が以前はありました。
ところが、今は、倒れる気がしないのです。

自然に、「倒れるはずがない」と、感じている自分がいます。
それで、「ああ、この感覚があるから倒れないんだな」と気が付きました。

昔は、こういう感覚になろうとしてもできなかったのに、と考えてようやく気がついたのは、
三秒間無心術の効果でした。
息を吸って三秒間、吐いて三秒間の止息、これを日常的にやっているだけで心の置き所が、変わってきていたのです。

眠れない夜

昨日、ちょっとしたトラブルがありました。
それを一日引きずって、「今夜は眠れないかな」と思いました。

夜床に入る前、しばらく3秒間無心術をしました。
落ち着きがもどり、いつもの様に眠ることが出来ました。

この時、昔 師が言っていた言葉を思い出しました。
それは、「天行健 君子以自彊不息」です。
師が若い時に、行っていた印刷業を止め、無職の状態が何年間も続いた時でした。
奥さんと子供二人を抱えて、それでも3年、4年と耐えていたのです。
暗い事、い由な事、不安ばかりが頭を巡り、悶々とした夜を迎えていました。
師は、易を毎日立てていたのですが、そういう日々に立てる易の卦は、
からなず、易経の第一番目にある、乾為天だったのです。
これは、
「天行は健なり 君子もって自彊(みずからつとめて)してやまず」
と、読みます。
日月星辰、天の運行は大昔から今日まで、そして未来永劫に変わることがない。
君子たるものは、天の運行のように変わることなく、日々努力すべきである」という意味です。
そして、どんなに長い夜であろうと、やがて朝日が昇ります。天の運行というものは、そのように健やかなので、今苦しい状態でも、日々努力を続けていればやがて朝日がさすときがくるという意味も含まれています。

眠れない夜は永い、延々と続き、悶々とする事があります。
そういうときは、この言葉を思い出しながら、三秒間無心術。
また、ヨーガアーサナをいくつかすると、よいでしょう。

 

まだ、駄目ではない

ほとんどうまくいきそうだったのに、一点に問題があって、全部だめになりそうだ。
まだ駄目だと決まってはいない。それなのに駄目だった時のことだけが、心を占拠する。

先ず、呼吸法をしよう。3秒間無心術だ。
そしてヨーガをしよう。
占拠したものを否定せずにいると、それは消える。

そして、あらたな芽生えを待とう。
自己の内から湧き上がる芽生え。
それは不思議なことに、状況の好転とリンクする。
一つでも、良い事があるはずだ。
それを心にとらえて、そこから育てる。
それがすへてを好転させてくれる。

それが指名なら必ず実現す。

ここぞという時は、鼻から息を吐き切ろう

鼻から吐けなければ、いつでもどんな時でも、腹腰に気合を入れられるようにはならない。
現代生活では、しっかり体を動かす仕草がなくなってしまった。

井戸での水汲み。
桶に入れた水を運ぶ。
洗濯板で洗濯をする。
おので薪を切る。
山へ芝を刈りに行く。
鍬を持つ。
……。

こういうことは、今や昔話の中にしかない。

おのずと腹腰に気合を入れる必要がない。

だから現代人は、鼻から息を吐いて、吐き切ることが出来なくなっている。

しかし、真剣に自分の生き方を心行くまで全うしようとするなら、必要な時にはいつでも鼻から吐き切る事ができなければならないだろう。
必要な時とは、どんなときか。
ここぞというときだ。
いざ自分が覚悟を決めて何かをしようとする時だ。
まさに勝負している時だ。

呼吸法は悪い呼吸習慣を治すためのもの

呼吸法は、自分の悪い呼吸習慣を治し、自分にとって最適な呼吸術を完成させるためにあります。

私達は普段当たり前に呼吸をしています。
その何気ない呼吸の大部分は、「浅く吸う」「肩や喉に力が入っている」「お腹と腰の気合が抜けている」という傾向があります。

その様な呼吸習慣を治すために、呼吸法があります。
毎日、時間を決めて、意識して、努力して、その習慣を自分にとって最適な呼吸習慣にする。
そして、それを自分の呼吸術として完成させるためにあるのです。

毎日、決まった時間に呼吸法をするようにしていると、普段の生活の中で、おかしな呼吸をしていることに気が付くようになります。

ときどき気がついて、その場で呼吸を正すことが出来る様になります。
毎日練習をしていれば。

普段の生活で、不自然な呼吸をしていることに当り前に、気が付くようになります。
毎日練習していれば。

いつしか、気がつかないで、悪い呼吸を正しているようになります。
毎日練習していれば。
そうやって、だんだんに呼吸術にするのです。

血圧測定で分かってきたこと

毎朝、目が覚めてすぐ、私は血圧を測ります。
「安静状態」のとき、「自然呼吸をしている」とき、「呼吸法をしている」とき、「ヨーガを始めてから」など、いろいろな条件で何回も血圧を測っています。

始めたのは4年ほど前ですが、続けているといろいろなことがわかってきます。

例えば、次のようなことがはっきり確認できるようになりました。

「ただ頭の中を考えがぐるぐる廻る」ときと、「何かしなければならないことや心配事を考えている」ときと、「意識が身体に置かれている」ときとでは、安静にしていても血圧は大きな違いを持つことです。

心の置き方が、身体に影響を与えていることがとてもはっきりとわかるのです。

意識が身体に落着いているときが、血圧が低く安定しているのはもちろんです。
その様な状態になるには、呼吸法がいいけれども、ヨーガはもっといいことがわかりました。
ヨーガでは、もちろんしっかり呼吸法をしながら行います。
ヨーガを10分から15分ほどしていると、自然に身心が落ち着きます。

このようなことをいろいろと調べているうちに、はっきり分かって来たことは、日常の生活活動では、考えていることと行動がマッチしている時は、身体の内部環境も安定していい状態になることです。

思ったことが上手く行かないような状態が続く事は当然よくありません。
そういう時は、何でもいいから行動を起こす事が大切です。

行動することで意識が切り替えられて、行動と意識がマッチングしやすくなるのです。
そして身体状態も良くなります。

その最善の方法は、ヨーガや呼吸法だと確信できるようになってきました。
意識が身体に落着き、次なる行動と思考のアイデアが生まれるからです。

とはいえ一日が始まり生活が流れているときにヨーガをするのは難しいので、普段に最も現実的で効果があるのは、三秒間無心術がもっともお勧めということになりました。

呼吸を意識するだけでいい

体と心をつなげているのが呼吸です。

呼吸法ではありません。

どういう意味でしょうか。
簡単な実験をして見るとすぐわかります。
実験は「呼吸を意識する」ことです。

そのとき呼吸で動いている胸やお腹といった体の部位を意識しているでしょう。
そして、同時にただ静かな心がそこにある事を自覚できるでしょう。

呼吸を意識するというのは、具体的には胸やお腹の動きを意識することですが同時に心そのものを意識することでもあるのです。

バラバラである身心を一如にするもの。
それが呼吸。

そのような呼吸が、呼吸法の基礎です。
その上で、呼吸法があります。
そして、それを習慣化して、自分のものになった時、それが自分の呼吸術ともいうべきものでしょう。

舌の位置はどこ?

呼吸法は、基本的に鼻呼吸で行います。
呼気も吸気も鼻呼吸が原則です。
もちろん、鼻が詰まっているときや運動中は口呼吸が当然ですが、座位の呼吸法やヨーガの様な低強度運動、通常の歩行などは、鼻呼吸が原則です。

さて、鼻呼吸をしているとき口は当然閉じています。
この時、舌はどのようになっているでしょうか。

のどの力、舌の力が抜けて、リラックスしていれば、舌は口蓋(上あご)にピタッとついています。

10年以上前に、私の呼吸法を学んでくださり、仕事でも日常生活でも、今ではあたりまえに実践している声楽家がいます。

出逢ってから、今日までほとんど毎月の様に呼吸法の事がテーマの研究会をしています。
その彼女は、それでもなお自分で納得できる声が出ないと言います。

今日は、舌の位置が話題になりました。

話を聞いてみると、普通に鼻呼吸をしているときの舌の位置が、謳う時の声と深い関係があるというのです。

鼻呼吸の時に、舌が口蓋から離れているようだと、力があって遠くまで通る声が出ないのだと言います。

坐禅のときの舌の位置は、声楽にまで関係するということが、今日の勉強会の結論でした。

ブーラーナとか気というのは情報の流れのこと

普通日本の呼吸法は、止息ということをしません。
せいぜい、密教の呼吸法の中にある程度です。

ヨーガでは、一般的に止息が行われます。
吸って止めることをクンバカと言い、吐いて止めることをレーチャカ・クンバカと言います。

クンバカはプラーナ(気)を体内に溜めるという意味があります。
プラーナでも気でもいいのですが、これらの言葉は一般的な理解ではエネルギーという意味に使われます。

しかし私は、エネルギーではなくプラーナとか気というのは「情報の流れ」だと考えています。

「流れ」ということは、固定的な情報を意味しているのではなく、いのちがいのちの目的に応じて働いている働きを造りだしているという意味です。
働いているということは、変化し続けているという意味でもあります。

例えば、DVDプレーヤーは電気のエネルギーで動きます。
しかし目的の映像を観るにはDVDメディアにその映像の情報が記憶されていなければなりません。
記憶されているものが、必要なタイミングで使われることで、ディスプレーに映像が映し出されます。

またたとえば、生命を維持するには酸素と食物といったエネルギーがなくてはなりません。
でも、人間が人間として成長し活動するためにはDNAと呼ばれている遺伝情報の中に組み込まれていて必要な時に必要なタイミングで、DNAの情報が発現しなくてはなりません。
遺伝子発現ですね。

この意味でいうと、プラーナとか気とかをどんなに使っても疲労を感じたり、それでおなかがすくということはありません。
優れたヒーラーは、一日に何十人と治療しても「疲れない」と言います。

情報の流れで治すからです。

もちろん活動しているいのちはエネルギーを使って生きているので、エネルギーを消耗するし、廃棄物も出て疲労していきます。
でも、「いいプラーナ(気)」によって効率よくエネルギーが使われるなら、疲労することが少なくなります。

行き詰まっているときに、アイデアを沸かして困難を打開させてくれるのも「プラーナ」によるものです。

つまり私たちが、生活や仕事で目的に向かって歩ませそれを効率よく進めるには、エネルギーではなく、情報の流れを調えていくことが大切で、それを実現する上で呼吸術が大変役立つということになります。

3秒間無心術の意義は、ここにあります。

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