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血圧は意識と連動して敏感に反応する

血圧は意識の置き方に敏感に反応します。
考えている時は高く、体に意識を置いている時は低い傾向が、顕著にみられるのです。

意識の置き方を変えるだけで、高下するのです。

もちろん、高い水準の時と低い水準の時とあります。
その時の血圧の水準の中でも、意識の置き方による高下は大きいのです。

興味深いことは、いいことでも悪いことでも考えているという点で、血圧においては似たようなものです。
プラス思考だろうが、マイナス思考だろうが、同様です。

とはいえ、呼吸法とヨーガをしていると、水準は低くなります。
私は、朝起きて、約一時間半、呼吸法・ヨーガをします。
その間、48回血圧測定しての結論です。

意識の置き方の変化は、本人にしかわかりません。
優れた医者や研究者がいても普通は調べられないでしょう。
もちろん、脳波や光トポグラフィーなど最新の装置をつかえばわかるようになるでしょうが簡単ではありません。、

我々はなおさらそんなことはできません。

でも、血圧測定と心の置き方の観察だけで、心と体が一つのものであることがよくわかってきます。
心と体が一つの存在として生きている。それが私の体だということがわかってきます。
つまり、全機性的存在だと。
自分でこのことがわかってくると、「やはり、ヨーガはちゃんとしたやり方をしなければ」と思います。
続けることが大切だと思います。

心を伸ばし柔軟にしたければストレッチングではだめ

体を伸ばしたいだけなら、ストレッチングでいいでしょう。

心も伸ばし、柔軟にしたければ、ヨーガでなくては駄目です。
ヨーガでは、心と呼吸と体と一つにして行うからです。

体を伸ばしたいとか、凝りを取り除きたいだけなら、ストレッチングをすればいいでしょう。
テレビを見ながらでもできます。

ところが、心を伸ばし、心をゆったりと柔軟にしたいなら、ヨーガじゃなくては駄目です。

私の教室でも、開脚ができないので、足が広がるにはどうしたらいいかということがしばしば話題になります。
そんな時は、毎日練習をすればいい。
「それは、テレビでも見るときにすれば、いいでしょ」
ということになります。
みなさんにもそういうことをお勧めしています。

でも、それはヨーガをしているのではありません。
ストレッチングです。

ヨーガをするときは、足が広がらないとか、もっと広げようとか、そんなことを考えているのではありません。
ヨーガをするときは、足を広げているときの筋肉の感覚、体感の感覚、全身の感覚を味わいながらそれを呼吸に乗せて、ゆったりと動かして、アーサナの体位をとる。

そういう風にすれば、体は喜んでくれる。
体は柔らかくなってくれる。
筋肉は伸びてくれる。

そう、筋肉は伸ばすものではなくて、伸びてくれるものなのです。

潜在意識に任せよう

あれもある。
これもある。
やらなければならないことが沢山あって、一つをしていると他のことが気になる。

落ち着かない。
上の空だ。
足が地についている気がしない。

そんな時は、三秒間無心術を使おう。
それで心をいったん体に落着かせるといい。

やることが三つも四つもある。
しかし、今この瞬間に出来ることは、ただ一つ。
体が一つしかないのだから。

では、どれをするか。
どれが最優先なのか。
これは、意外にいい加減なものだ。

目が覚めて、いろいろ頭が巡り、これをしなければと思う。
布団をたたんで、顔を洗って、いよいよ始めようという時、最優先の順位は変わっていたりする。

落ち着くにはどうしたらいいのか。
三秒間無心術を使うことだ。

そして、何をするかはお任せ。
何にお任せするのか。
潜在意識にお任せするのだ。

バタバタ考えなくても、脳は裏で全部処理している。
ちょうど、パソコンのようなもの。
我々は、ディスプレーを見ながら、パソコンを操作している。
しかし、パソコンのCPUは、眼に見えない作業を高速で、しかもたくさんこなしている。
僕らの脳は、パソコンよりもずっとずっと、ずっと優秀なのだ。
潜在意識にお任せしよう。
その方法が、三秒間無心術なのだ。

今までどれだけヨーガに助けられただろう

集中して制作していた「呼吸体操で心に豊かさを」が出来上がって、ふっと心が空虚になりました。
しかし、やらねばならないことがあります。
一日そのことに忙殺されて床につきました。

疲れていたのですぐ眠ってしまったのですが、4時間もすると目が覚めて、眠れません。
「思い切って、起きちゃうか」と、日課を始めました。
いつもの様に、禅・ヨーガです。

ところが、胸の内が何か空しい。
何をしても意味を感じられない。

「やることは、沢山あるんだけど」と思います。
だけと、その「やること」に意味が感じられないのです。
前触れもなく自殺しちゃう人がいるけど、こんな気分かなと思ったりします。

こういう時、呼吸法やヨーガをして、あっと言う間に気分が良くなるとは思えません。
「こんなことしたって、よくなりっこない」と、考えたりするのです。
「この厭な気分は、永遠に続く」様な気がします。

ただ、私は永年の経験で、「厭な気分には取り合わず放置」していれば、じきに消えてしまうことを知っています。

「ただ、呼吸法やヨーガをしていればこの気分は消える」と。

何分ぐらい経ったかは覚えていませんが、「ただ淡々」とした気分になりました。
やがて、虚しさが消えて、いつもの自分に還ったのです。

そして、次のように思いました。

辛い時、やる気が無くなった時、自分はどれだけヨーガ救われてきただろうか。
静かに活力呼吸をしたおかげで、どれだけ自分を取りもどして来ただろうか。
このヨーガと呼吸法の功徳を出来るだけ多くの人に伝えて行かねばならない。
それが自分の使命だ。

本当の無心てなんだろう

無心と一口に言うけど、どういうことかわからない。
いろんな解釈が出来て、こうだ、ああだと言われている。
でも、本当の無心というのは、シンプルに『無条件の安心』と言えばいい。

無条件の安心とは、心の中に、無駄なも、もがきや葛藤がすべてなくなっている状態。
そのことになりきっている状態。
なりきっているということは、今あることに夢中になっている状態。

つまり、三昧の状態だ。

夜中に目が覚めて眠れない。
仕事の合間や、ちょっとしたことで、不安や、心配事が心を支配してしまう。
「ちっとも無心になれない」
そんなとき、どうしたら、『無条件の安心』になる?

自分の外に安心を見つけようとしたら、どこにもないよ。

無条件の安心を発見しよう。
無条件の安心は、自分の中にあるんだ。
何時でも、どこにいても、今ここにあるんだ。

自分の外にある安心は、条件付きの安心だ。

誰かがいれば安心。
お金があれば安心。
健康なら安心。
仕事が安定すれば安心。
次の勝負に勝てれば安心。
人が認めてくれれば安心。
……。

そういう安心は条件付きの安心だ。
そういう安心に頼っているとき、無心じゃあない。

 

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