「治すもの」ではなく「治るもの」

よく、自然治癒力という言葉が使われます。
それはそれいいのですが、私はただ身心に治癒力が備わっているからという意味で「治る」ものと言うのではありません。普通に使われている自然治癒力は、自己があって他己があるという二元的世界でいえることです。科学や医学、医療は、この自然治癒力を元にしています。

自他が一如の世界(無心の有り方)では、病気というものも健康というものもありません。
病気もないし健康もない。

二元的世界の自己が、このことを素直に受け入れると、病気が治るものだということが当たり前に、認知されます。
そういう状態で、治療やケアーを行う時に「多くの病気は治ってしまう」のです。
このことは、体験されると「なるほどそうだな」と納得できます。
「多くの病気」と書きましたが、それは治らない場合が多々あるからです。

その理由は、例えば「治らない」「治りそうもない」と自我が思い込んでいることが多いからです。
それは、無心の在り方ではありません。

無心の在り方になる事が、大切なのです。

この話は、あらゆる事柄に応用されます。
「目的や夢の実現のために、何々をする」ではなく、「目的や夢は、実現さる」ものなのです。
もう一歩突っ込んでいえば「目的や夢は、すでに実現されている」ものです。

こういうことは、体験しなければわかりません。
一度には、なかなか理解できないし、わかってきませんが、呼吸法を続けていると、ある瞬間にこのことを体験するでしょう。また、いつの間にか、このことが解っている自分と遭遇するはずです。

この体験の積み重ねが日常の私の、ごく普通の生活をしている私の快適な歩みを進めていく原動力となっていくはずです。
体験するための土台となる行が、呼吸法なのです。