今までどれだけヨーガに助けられただろう

集中して制作していた「呼吸体操で心に豊かさを」が出来上がって、ふっと心が空虚になりました。
しかし、やらねばならないことがあります。
一日そのことに忙殺されて床につきました。

疲れていたのですぐ眠ってしまったのですが、4時間もすると目が覚めて、眠れません。
「思い切って、起きちゃうか」と、日課を始めました。
いつもの様に、禅・ヨーガです。

ところが、胸の内が何か空しい。
何をしても意味を感じられない。

「やることは、沢山あるんだけど」と思います。
だけと、その「やること」に意味が感じられないのです。
前触れもなく自殺しちゃう人がいるけど、こんな気分かなと思ったりします。

こういう時、呼吸法やヨーガをして、あっと言う間に気分が良くなるとは思えません。
「こんなことしたって、よくなりっこない」と、考えたりするのです。
「この厭な気分は、永遠に続く」様な気がします。

ただ、私は永年の経験で、「厭な気分には取り合わず放置」していれば、じきに消えてしまうことを知っています。

「ただ、呼吸法やヨーガをしていればこの気分は消える」と。

何分ぐらい経ったかは覚えていませんが、「ただ淡々」とした気分になりました。
やがて、虚しさが消えて、いつもの自分に還ったのです。

そして、次のように思いました。

辛い時、やる気が無くなった時、自分はどれだけヨーガ救われてきただろうか。
静かに活力呼吸をしたおかげで、どれだけ自分を取りもどして来ただろうか。
このヨーガと呼吸法の功徳を出来るだけ多くの人に伝えて行かねばならない。
それが自分の使命だ。

本当の無心てなんだろう

無心と一口に言うけど、どういうことかわからない。
いろんな解釈が出来て、こうだ、ああだと言われている。
でも、本当の無心というのは、シンプルに『無条件の安心』と言えばいい。

無条件の安心とは、心の中に、無駄なも、もがきや葛藤がすべてなくなっている状態。
そのことになりきっている状態。
なりきっているということは、今あることに夢中になっている状態。

つまり、三昧の状態だ。

夜中に目が覚めて眠れない。
仕事の合間や、ちょっとしたことで、不安や、心配事が心を支配してしまう。
「ちっとも無心になれない」
そんなとき、どうしたら、『無条件の安心』になる?

自分の外に安心を見つけようとしたら、どこにもないよ。

無条件の安心を発見しよう。
無条件の安心は、自分の中にあるんだ。
何時でも、どこにいても、今ここにあるんだ。

自分の外にある安心は、条件付きの安心だ。

誰かがいれば安心。
お金があれば安心。
健康なら安心。
仕事が安定すれば安心。
次の勝負に勝てれば安心。
人が認めてくれれば安心。
……。

そういう安心は条件付きの安心だ。
そういう安心に頼っているとき、無心じゃあない。

 

1 10 11 12