体操だけがヨーガではありません

ヨーガは、体操だけがヨーガではありません。

後悔なく生きるための方法の全てをヨーガといいます。

私は、次のように考えるのです。
昔インドには、今でもそうですが、インドにはさまざまな宗教や人生哲学があった。
それぞれには、後悔なく生きるための理論と方法、つまり冥想や呼吸法、マントラやタントラなどがあった。

生活の智慧やその中には何かを成し遂げるための心構えなども含まれていた。
そういう理論と方法とをおおざっぱに、ヨーガという言葉で表したのではないか。

それがやがて、サーンキャ哲学の枠組みの中で、一つの用語としての意味付け、定義付けが行われた。
一般の人にも分かる形で、詩として語られたものが、バガヴァッドギーターではないか。ギーターとは、詩という意味を持つ。
そして、バガヴァッドギーターは、マハーバハーラタの中に組み込まれた。

何千年もの間いつでも、何億人という人たちが、喜んだり苦しんだり悩んだりしている。そうした人生模様を代表してバーラタ族の人たちの生きざまを通じてつくられた叙事詩が、マハーバハーラタだった。この叙事詩には、後悔なく生きるためのの工夫が込められていたのだ。
つまりマハーバーラタには、サーンキャ哲学と生きるための智慧であるヨーガが織り込まれていた。

そういうすべての中から、生理学的な、体操的なヨーガが生まれた。
ハタヨーガだ。
生理学的な、体操的なヨーガにも、いろいろなものがあった、浄化法、食事法、チャクラやナーディーといったことを通じての冥想もあった。
やがて、そういうものを集めて、百科事典のようなものが造られた。
それが、例えばハタヨーガプラビティーカなどである。

というわけで、体操のヨーガは、とても役に立つヨーガであるが、それがすべてではないということをご理解していただけたらと思う。