「禅をする」「ヨーガをする」それは自分探しの営み

「禅をする」「ヨーガをする」それは自分探しの営み。

夜中、寝ているときにこの言葉が頭のなかに現れていた。
目を覚まして、忘れないうちにとメモを書いた。

目を覚まして読むと、いつも自分の中にある考えで、取り立ててどうということもないこの言葉。
だけど、なんで今さら夢にと思った。
が……。

11月25日、26日に行う、成田ヨガスタジオ主催の「オリエンタルヨーガ ジャパン」のチラシを昨夕から仕上げ調整に入り、プリントアウト、発送を今朝修了。

その後、ずっと気がかりだったことをきちんと見ようと思い、佐保田鶴治先生の「ヨーガ根本経典」2冊で、古典的アーサナの確認をした。
やはり、古典的ハタヨーガには、立位のアーサナは殆どない。いわゆる立木のポーズと、よくわからないが立位らしいアーサナが、1,2見つかっただけだ。
臥位のアーサナも多いが、坐位のアーサナが際立って多い。

その他、今追求中なので、まだ詳しく書けるところまできていないけれども、ヨーガの目的は欧米文化の影響を受けて、19世紀末から20世紀初頭頃に始まり今日までに、健康法、健康体操に変容してきていると、思えてならない。
こんにち、インドもヨガブームである。
このインドヨガも欧米の動きに追従したきらいがあり、今日急速に欧米の価値観の方向へ変容してしまっていると、考えざるを得ない。
残念だが、……。


もちろん、本物のインドヨーガは健在なことは、よく理解している。私は、インドが大好きだから、そこのところはつかんでいるつもりである。
しかし、最近の様子を見ていると、インドですら健康体操というだけのヨーガが急激に拡大していることがうかがわれるのだ。
アジア的な感性が希薄化しているのは、日本だけでなく、インドでも感じられることが残念なのだ。

そうした中で、松元頼子さんと私は「日本のヨーガを世界に提唱しようではないか」という話になり、頼子さんが企画してくれたのが「オリエンタルヨーガ ジャパン」だ。

日本の風土が生み出したヨーガがあっていいのではないか。
というか、すでにある。

それが、私たちの立場だ。