静寂で平和な心

ヨーガや呼吸法をしていると、すーっとあたりが静かになり、いつの間にか静寂で平和な心に浸されている自分に気がつく。

普段の何気ない生活行動の中でも、しばしばこのような心に包まれる。
そういう時間が最近増えて来た。

この静寂で平和な心に包まれているとき、今朝、ふっと気がついた。
それは、「リラックスとか癒やしとか言うこととこれは、まったく異質なものだ」ということである。

まだしっかり説明できないのだが、リラックスとか癒やしとかには、「自分がリラックスしている」とか「自分が癒された」という自我意識が明確にある。

ところが、静寂で平和な心に浸されているときは、「辺り一面と溶け合った自分がいる。辺り一面が静寂で平和だからそれと共鳴して自分も静寂で平和である」あるいは、「辺り一面と自分とが同時に静寂で平和なのだ」という心のあり方である。

自分という言葉を使ったが、強烈に自己を主張する自我意識ではなく、いつも世界と共鳴している自分である。
このようなことをなんとなく感じ始めたのは、大学院のヨーガコースで、自分は立って、冥想を指導しているときだった。
呼吸の仕方、心の置き方を説明していながら、
いきなり、静寂で平和な世界に立っている自分がここにいたのだ。
それから、同じようなことがしばしばある中で、だんだん日常の生活行動の間にもこの感覚が浸透してきた。

ॐ शान्तिः शान्तिः  शान्तिः |
OM shaantih shaantih shaantih.