ニローダの意味

焦る心を止めるのは、難しいですね。
でも、もし焦る心が自然に静かに消えれば、そこに努力は必要ありません。

今、焦っています。心の中で「まだ早い。待った方がいい」と感じています。「アンフェアーなことだから、やめた方がいいのではないか」という漠然とした感じがあります。
けれどもなかなか我慢が出来ないものです。

行動を止めようとして努力することを、心の働きを制御するということが出来るでしょう。

一方、呼吸を調えて静かに坐っていたら、自然に焦りが消えていることに気が付くことがあります。行動をしようとする心はいつしか消えているのです。
それを「心の働きを止滅すること」というのではないでしょうか。

今、ヨーガスートラのⅠ-2の「ヨーガとは、心の働きをニローダすることだ」のニローダの二通りの訳を「焦り心」に当てはめて考えてみました。

ニローダを「制御する」という意味と、「止滅する」という意味の二通りの解釈があることは、ヨーガを勉強しているとすぐに知ることになるのですが、初めの人にとって理解が厄介です。

ヨーガスートラをズーッと読んでいくと、ニローダの意味は止滅でなく制御することとして丁寧に解説しているように思えます。

止滅と理解すると、そんな解説は無用に思えます。
止まり滅するには、自我意識は全く必要ありません。自我が、おのずから消えていることだからです。
この場合ですと、これに続く章節は、単なる饒舌なのです。すべて飛び越して、最終章の最後(Ⅳ-34)のカイヴァリヤに直ちに到達していることになります。

止滅すると云う理解は、むしろ禅に近いでしょう。禅にも大量の饒舌があります。饒舌なのにそのような饒舌を否定しているという特徴があります。
それが、禅問答という形で凝縮されている考えていいでしょう。

今は省きますが、禅とヨーガスートラは、兄弟のようなものです。

話を最初に戻しましょう。

姿勢を正し、呼吸を調える時、自然に心が静かになります。
一瞬にして静かになるには、毎日これの実践を繰り返す必要がありますが、これをすることによって人生に得られることは、とても大きいものです。