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独自の能力を引き出すヨーガ

どんな人にも、その人独自の能力がある。
他の誰にも真似できない。その人だけの価値である。

それが覆われていて、垣間見ることすらできないような人もいる。
人に疎まれ、「無能だ」と邪魔者にされているかもしれない。
他人はおろか自分ですらそのことに気が付かない。
そんな能力が隠されている。

その能力をヨーガは引き出す。

と、このように私は考えている。

 

眠れない夜

昨日、ちょっとしたトラブルがありました。
それを一日引きずって、「今夜は眠れないかな」と思いました。

夜床に入る前、しばらく3秒間無心術をしました。
落ち着きがもどり、いつもの様に眠ることが出来ました。

この時、昔 師が言っていた言葉を思い出しました。
それは、「天行健 君子以自彊不息」です。
師が若い時に、行っていた印刷業を止め、無職の状態が何年間も続いた時でした。
奥さんと子供二人を抱えて、それでも3年、4年と耐えていたのです。
暗い事、い由な事、不安ばかりが頭を巡り、悶々とした夜を迎えていました。
師は、易を毎日立てていたのですが、そういう日々に立てる易の卦は、
からなず、易経の第一番目にある、乾為天だったのです。
これは、
「天行は健なり 君子もって自彊(みずからつとめて)してやまず」
と、読みます。
日月星辰、天の運行は大昔から今日まで、そして未来永劫に変わることがない。
君子たるものは、天の運行のように変わることなく、日々努力すべきである」という意味です。
そして、どんなに長い夜であろうと、やがて朝日が昇ります。天の運行というものは、そのように健やかなので、今苦しい状態でも、日々努力を続けていればやがて朝日がさすときがくるという意味も含まれています。

眠れない夜は永い、延々と続き、悶々とする事があります。
そういうときは、この言葉を思い出しながら、三秒間無心術。
また、ヨーガアーサナをいくつかすると、よいでしょう。

 

どうやって人生を創る?

食べ物が体を作っている。
では、人生の歩み方を決めているものは何?

呼吸の仕方ではないだろうか。

どんな呼吸をしているだろうか、普段。
このことが人生の歩み方を決めている。
浅く速い、浅く遅い。
深く速い、深く遅い。
力強い呼吸か、弱弱しい呼吸か。

そしてまた、ものごとに向かう姿勢はどうだろうか。
それは、体の姿勢と関係ないだろうか。
腹、腰に力が入っているか。
前のめりか。反り返っているか。

これらは、自分が生きる世界と向き合う時の姿勢と、関係ないだろうか。
食べ物のことばかりを考えているのは、偏っていないだろうか。
健康健康と、健康にこだわるばかりで、大事なことがおろそかになっていないだろうか。

新鮮な智慧

今、最新の知識・知恵でも、300年経てば古くなってしまう。

しかし、3000年前のヤージュニヤワルキャ(Yājnavalkya) の言葉を丁寧に読むと、その中には今もって古びていない智慧が、たくさん入っている。それは、ブリハッド・アーラーニャカ・ウパニシャッドにある。
彼が語った智慧は、300年後も、3000年未来にも通用するのではないだろうか。
何時の時代にも、人の心に響くもの、それういうものが本当に新鮮な智慧というのではないだろうか。
せかせかした今日、こうした智慧の書を丁寧に読む暇は無駄のように思えるかもしれない。
でも、もし心の琴線に触れる新鮮な智慧を読んでみようという気持ちが起きたら、ゆっくりとそういう智慧を捜すところから始めたらどうだろうか。
永遠の智慧は、逃げて行かないのだから。

ストレスとプレッシャー

ストレスと言うと普通、心の問題と考えますね。
現代生活でストレスと言うと、人間関係で生まれるストレスが一番問題になります。
職場や、友人関係、あるいは夫婦や親子の間での軋轢(軋轢)が生じるストレスで、悩みます。

よく知られている様にストレスとは、元々物理学の用語で固体に外圧が加わって起きる歪みのことを言いました。
今、外圧と書きましたが、つまり固体に加わるプレッシャーのことです。
これが、元々の意味です。

人間におけるストレスについては、キャノンという人とセリエという人が、1930年代に自律神経系と内分泌系に変調を起こすものをストレッサ―、起きた変調をストレスとして次のような考え方を提唱しました。

これは、体におきている自律神経、内分泌の変調ですが、
その原因となるストレッサ―、別の言い方をすればプレッシャーは、毒となる薬、病原菌、温度といった物理的、化学的、生物学的なものばかりでなく、精神的なものも含まれます。

体と心は、一所に反応しているという考え方が、19年代前半には科学の中ではっきりと確認できることがわかっていたということになります。
21世紀の今、東洋の身心一如という考え方は、もう東洋だけのものでなく、人類共通の概念となっているということが言えるでしょう。

かすかな焦り いらだち 怒りに気づこう

あるとき、「かすかな焦りを自分は感じているな」と、気がついた。
気がついた途端に、焦りは消滅していた。

焦り、いらだち、怒りはほんのかすかなうちに気がつくと、消えてしまう。
このことがわかってから、私はずいぶん自由に自分をコントロールできるようになった。

誰でも同じなのではないだろうか。

ヨーガは心の健康と体の健康の両方をみる

さまざまな健康法があります。
私は、健康法に飽き飽きしていますが、それでも、ヨーガをしているとどうしても健康問題に対する質問が多くなります。

それは、体の健康のことだけではなく、心の問題、社会的トラブルに対する質問もたくさんあります。

「ヨーガでは、どうする?」ということになりますが、「このアーサナがこれに効果がある」ということは、あまり考えない方がいい。本には書いてありますが、基本的にそういう「つけ刃の様な事は、現代医学にまかせればいい。現代医学では心の問題も薬を使いますね。その方が早い」、それは「治そうとするからだ」と、と私とはまあこんな風に考えるわけです。
もちろん、それはそれでものすごく大切な事です。

でも、「ヨーガは治すのではなく、自然に治る。誰が治したのでもない。」
自然治癒力という言葉がありますが、自分の体に治癒力があるというだけではない。
「ありのままの自然が治す」
そのことを静かに見つめる営みが、ヨーガだと私は考えています。

 

 

本当にわかる

本当にわかる前は、いくら本を読んでも何もわからない。

わかってから読むと、わかる。

でも、わからないうちに読まなければ、わかるようにならない。

本だけではない。

言葉というものはそういうものだ。

そして「言葉でわかったつもりでいたなあ」と、本当に分かるまでには、永い年月がかかる。

ヨーガは一つ

世に中には沢山の種類のヨーガがある。

どれがどう違うのか。
どれがいいのか。

そんなことはどうでもいい。
無心にそれを行えるかどうか。
自分の在り方を常に顧みることだけが大切だ。

無心の営みをヨーガというのだから。

ヨーガの村 木島平村

長野県北部にある木島平村は、新幹線飯山からゆったりと流れる千曲川をわたったところにあります。

何よりもお米がおいしい。
野菜がおいしい。
そして、水がおいしい。

ブナの原生林で有名なカヤの平高原には、キャンプ場がありまた本格的なトレッキングを楽しめます。
スキー場があり温泉があり、……
それなのに、あまり知られていない。

そしてこの木島平は、ヨーガの盛んな村だということは、さらに知られていません。
ヨーガ人口が多いとききました。

私は1年に一度、村の健康セミナーの一貫としてヨーガの指導におまねきいただいています。
人口がわすが4600人なのだそうですが、ヨーガの参加者は55名を超え
、広い体育館が狭く感じられるくらいです。

私は木島平に行くたびに、「いつかここでヨーガの大会を開こう」と、思います。
何時のことになるかわかりませんが、日本で最も最適な場所の一つだと考えています。

kijimataira1

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